その声の一つは、着物を愛好する側からの「このような着姿が美しい」という主張。もう一つは、着物を着ない側からの「着物着るなんて酔狂だね」という風当たり。「和服はきちんとor正しくor美しく着なきゃ」にせよ、「現代人なんだから洋服着なきゃ」にせよ、私のテキトウ着物スタイルとひっかかることもしばしばです。mizuhoをはじめ「幼稚園や学校での着物」という話題にあるように、お仲間の皆さんの体験も共通するものが多いようですね。
で、理屈屋のeribow(^^; としましては、須(すべか)らく衣服というものは変遷していくものであって、「正解」はない、ということを裏付けるべく、「着物の歴史」に興味が強くなりました。現代の和服のほぼ原型と思しき江戸時代の和服を浮世絵で観察し、現代の「正統派」着物が成立した明治〜敗戦後までの流れを分析し、そもそものルーツとしての「呉服」の受容について興味をわかせる‥といった按配です。
その一環で、とある本の中で、「おはしょりというのは、屋内で“おひきずり”で暮らしていた女性が、外出する際にたくし上げたのが由来で、そもそもは屋内でおはしょりはおかしい」という歴史的指摘を読み、服飾研究家・高田倭男(たかたしずお)氏を知るところとなりました。
そうだよ、行き当たりばったりで着物のことを考察するんじゃなくて、こうなったらいっそ「服飾研究」にまで走るのが本当だよ!服飾の「比較文化論」もおもしろいじゃん?
と、思ったのだが‥「服装に正解はない」ということを主張するために、古代装束や世界の民族衣装にまで視野を広げるのも、カッタルく感じられてきました(^^; 何というか、最近この話題を連打して、自分でも飽きてきたというか、食傷気味‥(-_-;
こんな本に出会ったお陰で、「そこまでやっても?」と逆に一気に歴史研究熱減退。
ま、「過去」や「異文化」を知ることは、「今、自分に見えている範囲」で服装というものを判断する、ごく一般的な、大多数の(健全な)思考回路に対して、理論武装にはなるでしょうが、そもそも衣服は直感的なアイテムです、どんな理論を目にし耳にしたって「美しく見える」「変に見える」という感覚はさほど動かされないのではないかと思われ。歴史や異文化を視野に入れるのは、あくまでも自己満足の世界ですよねえ(遠い目)。
これからも「歴史分析」欲は続くでしょうけれど、その事実を知らない人に対して「へぇ〜ボタン」を押してもらうのがせいぜいで、自分の着たいスタイルが好意的に受け入れられるかどうかとは、あまり関係ないことなのだ、という気がしています。
現在の心境は、「僕の前に道はない、僕の後ろに道はある(by 高村光太郎)」ですね(-_☆


室内のお引きずりの着つけのままに室外に出ると、自然に上前・下前を握り引き上げ、それを帯の下に挟むだけ。後はそのままのようでした。(他にもへぇ〜ボタン連打の私)
結局着姿というのは、その時代に対応したものなのだから、今自分はどう着たいか…ですもん、色々有っても良いんだなって最近思いました。同じ物を身につけても、洋服和服問わず、その人のなりが自然と表現されてしまうものですし。
自己責任でもって、気楽に自由に楽しむのが今かもしれないですね。そしてその中で多くの共感を得た着姿や流行が次の世代の人にとっては「伝統的な着付け」となっているところを想像すると、「〜あるべき」「〜ねばならぬ」が滑稽に感じてきます。
変遷を辿っていくと面白いですものね。
大概の被服史本は貴族とか武家の衣類だけですが、この本は庶民の衣類にもふれられているので、ちょっと面白いです。
本の難易度からすると、初心者よりはちょっと知ってる人向きかなって思います。
石の森章太郎作の「漫画日本の歴史」のハードカバー版の後ろにが高田先生の被服論が掲載されています。こっちは、図版が多いし、漫画の絵と並行して見られるので、初心者には判り易いです。
1巻分は少しなので、立ち読みできる場所があったら、読んでみてね。
>eribowさんまで、衣服の歴史にハマっちゃったんですね。
いえいえ、違うんです(^^;
>逆に一気に歴史研究熱減退。
なのですよ‥話分かりにくくてすみません(^^;;;
足を踏み入れかけて、「やっぱヤメタ」と引き返した感じです
私の場合、入ると泥沼だからなー(遠い目) 怖くなったのかもしれません
庶民の被服史が、一番興味ありますね
ま、それだけでなく、食事とか、住まいとか、芸能とか、
「暮らし」の歴史に惹かれます
学校で教える「歴史」は「政治史」や「戦争史」で、今思うとツマラナイです