高校時代からの友人、soyaが亡くなって、1ヶ月以上がすぎた。
急なことだったので仕事の調整も限界があり、日帰りで葬儀に行くのが精一杯だった(soyaが暮らしていたのは鹿児島だったのだ)が、関東からわざわざ来た、ということで親族に混じって骨も拾わせてもらった。
葬儀が進む中で知らせを受けたときの呆然状態は少し落ち着き、こういう儀式は残された者にとって必要なものなんだなあ、などとぼんやり思っていた。
とはいっても心の整理はなかなかつかず、初七日に共通の友人たちと思い出を語り合ってみたり、昔の写真をひっくり返してみたり、soyaのつくった半襟と足袋をことあるごとに身に着けたりしていた。金魚柄の半襟と足袋はあちこちでほめられた。そのたびに、聞いた? と胸の中でsoyaに話しかけていた。
着付けの資格も持っていながら、子育てと闘病でなかなか着物を着られないというsoyaに、足袋のお礼も兼ねて誕生日に浴衣を贈っていた。soyaに似合いそうな大柄の百合を散らした浴衣。
気に入ってくれて、これを口実に今年は着るね、とメールをもらったのが最後のやりとりになってしまった。そのあとすぐ、soyaは入院してしまったのだ。そして、家には戻れなかった。
あの浴衣はどうなっただろう、と少し気になっていた。多分一度も袖を通していないだろうなあ。着たところをみたかったのに。
一昨日、家族旅行の帰りに2年ぶりでsoyaの自宅を訪ねた。お連れ合いに、soyaの残した着物をもらって欲しい、と言われたのをきっかけに、浴衣のことをたずねてみた。
アメリカに住んでいるsoyaの姪御さんが浴衣を気に入って、帰国するときに貰っていってくれたという。それを聞いてちょっと嬉しくなった。娘がいないsoyaにとっても嬉しいことだろう。
葬儀でみかけた、すらっと手足の長い美少女があの浴衣を着ている姿を想像してみた。似合いそうだった。
2007年08月21日
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友人・知人の死を経験すると、初七日、四十九日、お盆、お彼岸、命日、、、と法事で区切りを付けることで、残された人々の心を鎮め、思い出を昇華させていくのかなと思います。
SOYA様の思い出、沢山あるでしょうから、語ってくださいね。
合掌
1ヶ月が過ぎたのですね。何を見ても何を考えても、思い出されることかと思います・・・
mizuhoさんの贈られた浴衣、soyaさんの姪御さんに受け継がれたのですね。きっとmizuhoさんの思いも伝わっていくと思います・・・
>ぶりさん
どちらかというと「儀式」を軽視する傾向にあった私ですが、このところ身近な人を亡くす経験が増え、「喪の儀式」の必要を感じるようになりました。そして、思い出を語ることも癒しになることを実感しています。
読んでくださってありがとうございます。
>ひつじさん
葬儀で泣きじゃくる姪御さんが印象に残っていたので、できれば彼女に着てもらえないかな、と実は密かに思っていたのです。だから、彼女が気に入ってアメリカに持って行ったと聞いてほんとに嬉しかったです。贈ったときは、まさかその浴衣が海を渡るなんて想像もつかなかったですけどね。