着物を着るようになってよかったことのひとつに、母と着物話で盛り上がれるようになった、というのがある。母自身はすでに着物着る気がないのだけど、着物自体は好きで、さすがに呉服屋の娘だけあっていろいろ知っている。長年つき合ってきた親でも、知らない一面というのはあるものだなあ、と感動。
着物をもらうついでに、いろんな話が出る。着物にまつわる様々なエピソードは、着物がなければ聞けなかった物語。一生知らずにいた可能性が高かったと思うと、着物に目覚めてほんとによかったと思う。
母以外の親戚からも着物をもらうようになり、着物と一緒にエピソードもついてくるので、なんだか心理的な距離が縮まった。遠くに住んでいる人が多いので、冠婚葬祭の時に会うだけの存在だったんだけど。
着物って、親子や兄弟や親戚の間で譲ったり譲られたり、というのが似合う。というか、日本人はずっとそうしてきたのだと思う。着物は一人で着て終わりなものではないのだ。一枚の布を大切に大切に受け継いでいく、そしてそこには物語がくっついていく。なくしてしまうのはもったいない日本文化、といったら大げさだろうか。
eriは着ないのにしまっておかれる着物がもったいない、もっと流通させたい、という。それはその通りなのだけど、着物って簡単には手放せない面があるのだ。それはやっぱり、物語がくっついているせいだと思う。結婚するときに親が思いを込めて仕立てた、とかね。身内に譲るのは抵抗なくても、誰のものになるかわからない、リサイクル屋に売るのは抵抗があるんじゃないだろうか。だから逆に親戚や知り合いからもらえる、ということにもなるんだけどね。
十代の頃だったら、こんな「物語」なんて、うっとおしいとしか思えなかったと思う。物語を受け継ぐことが楽しいと思えるようになったというのは、やっぱり年とったということなのかな。
2005年09月22日
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大正生まれの母は、普段は洋装でしたが、明治生まれの祖父母とともに着物好きでした。 なんせ、着倒れの京都人でしたから。 すでに、この世にいないので、同世代の方の着物談義を聴く機会に恵まれると、楽しいです。