2007年07月05日

消えた喪の和服

 夫祖母(明治生まれ)のお葬式に参列してきました。蒸し蒸しと肌に湿気がまとわり着き、どんより雨雲が垂れ込めた、梅雨真っ盛りの日和でした。
 近しい親族の葬儀に立ち会うのは、なんと中学生の時以来、20ン年ぶりです。当時は当然学生服。結婚の際に母と祖母から喪服一式はどさっとお下がりをもらっていましたが、何しろ勝手が分からない(汗)。お数珠を持参し忘れたり、40にもなる大人が常識も知らずに恥ずかしいことばかりでした。

 和の喪服も一式あったのですが、さして悩まず止めておきました。一番の理由は、袷で、試着してみた時とっても暖かかった‥とんでもなく季節外れだと思われたからです。せっかく帯は夏冬兼用のリバーシブルなのですが、夏の長着は「買え」モードですね。
 また、「娘方の孫の嫁」という比較的遠い位置ということもあるので、着物って「重い」かなあ?とちょっと遠慮。

 喪主の妻である団塊の世代の叔母は和服なのかしら?と気になってましたが、洋装でした。ご近所の老婦人方も。お琴の先生をして山ほど着物を持っている叔母も。私の結婚式には自前の黒留袖で列席して下さった義母も。
 今って、そんなものなのかもね。暑かったし。
 家風もあるでしょうね。お式が終わって、葬儀場から徒歩すぐの祖母の家に皆集まると、多くがワラワラと着替えてTシャツやらジャージ姿やらへ変身。喪主である叔父はステテコ姿に!(驚) 前夜葬儀場に泊まった叔母は疲れからか畳の上でお昼寝。カジュアルなおうちです。

 皆で祖母の古いアルバムを見ました。「着物が普段着」だった世代なんだなあ、と感じられました。
 お棺に入れた時も、「一番のお気に入りだった着物」を、掛け布団の上に載せていました。正統派でもアンティークでもない。上品でもお洒落でもない。ただのフツーの「衣服」でした。
 見送られる祖母は着物の人。見送る子や孫は着物と縁のない人。時代の境目を感じました。また一人、着物の時代を知る人がいなくなったのですね(感慨)。

 お坊さん(女性です)はさすがに和装。きれいなペパーミントグリーン?の袈裟懸でした。葬儀の最中に「ポリかなあ?仕事着だからそれも合理的かなあ」なんてつい観察してしまいました。

 遠く離れた田舎の親戚たちとはほとんど交流がないのでカウントしないにしても、夫と私両方で、父母義父母が4人、祖母1人、叔父叔母が4人、その連れ合いが4人。「上の世代」だけで13人もいるのを、思わず確認してしまいました。早くに亡くなった人がいない幸せな一族とも言えますが、見送る時は立て続けなんだろうなあということが、急に思い浮かんできました。
 「喪服なんて、滅多に使わないから、高いものを買うのは無駄」な気がしていましたが、これだけ出番があれば、回数に耐えるまともなモノが必要なのだとも思えてきました。

 「気にしない」人たちだということがより一層分かったし、私は「着物が好きな人」ということは親戚中に知れ渡っていますので、葬儀に和服でも「eribowさんは和服の人」と認識されて、問題はなさそうな感触でした。
 8月半ばには四十九日の法要があるでしょうから、色喪服で出席してみようかなあ。

ーーーーーー

 意識不明が続いたけれど、最後は娘息子全員に見守られて、大往生でした。眠るような、安らかな死に顔でした。笑い声さえ起こる、今まで列席した中で一番明るいお葬式でした。
 結婚して以来だからわずか10年のお付き合い。それでも、人の死は、いろいろ思うところがありますね(しみじみ)。
ラベル:喪服 着物
posted by eribow at 14:27| Comment(15) | TrackBack(1) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月19日

のびやか着物!carmenさん

 2才の娘さんを育てつつ365日着物ライフ開始‥着物友carmenさんと、この頃遊ぶ機会が増えました。ご自分のブログでも毎日のようにのびやかな着物姿を披露して下さってますが、鎌倉あじさいオフでご一緒して、のびのび度に拍車がかかった?!ような気がして(笑)、ちょっと注目しちゃいました。

ajisai 027.jpg かづこさんと「お召しシスターズ」写真。
 密かに観察してみたのですが、ポイントは、たっぷり出した襟、短めの着丈、柔らかい帯結び、あたりかな?ゆるやかに着付けてると言えば言えますが、私の着付けがユルいのとはちょっと違うぞ(^^; 何というのかなー、着物が「身に添う」感じがする。
 江戸明治大正の着物姿の絵を見ると感じる、「なよらか」感がある。静止画像以上に、動いているcarmenさんは、まるで浮世絵から飛び出して来たかのようで、ちょっと感動。
 毎日着物と言えば因幡のりさこさんとはまた少し雰囲気が違う。まあ、りさこさんは「講師」というお仕事と関係があるのでしょうし、ベビーカー幼児は連れてないし。carmenさんは一面「奥様着物」でありつつも、「働く着物」にならざるを得ないところが、際立っているのでしょうね。

 雑誌などの着物姿の撮影では、上手に巻きつけているだけで、実際は着ていないこともあるのだとか。呉服屋さんでやられる「巻き巻き」の上級バージョン?(笑) 正面から撮るときれいな姿になるけど、後ろ、横から見るとハリボテとか(笑)。その方が着物に皺もできず、平面的に美しく仕上がるという事情があるようです。現代着物の「美」を突き詰めると、そこまで行くのね。
 歌舞伎や能の役者さんは「動き」はあるけど、究極の「見られるための着物」。結婚式や成人式の着物姿も、本質的なものはお雛様と同じ、「人形」です。茶道の「きちんとした着物」は、「型」重視という点ではとても静的。それに対し、「動く」着物は、「人間」を感じさせました。

 現代着物は、こういう「動的」な部分をどんどん削ぎ落としていったんだなあ、と感じます。戦後、日本人女性の活発度(お転婆度?)がぐんぐん上がっていったことを考えると、和服が不人気になっていった流れも納得です。
 「美しいキモノ」を育んで下さった“正統派”の方々のお陰で、着物に対して「優雅」「洗練」「大人」などのプラスイメージが形成されたことは嬉しくもあるので、それは壊さない一方、「人間らしい」「のびやかな」着物ももっと増えて行ったらなぁ〜!
ラベル:着物 自由
posted by eribow at 23:16| Comment(5) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月18日

姿勢って大事!

 美しい着こなしに欠かせないもの、それって「姿勢」だと思う。着付け技術があっても、姿勢がよくないとだいなし。着物を重ね着して帯をきっちり締めているとそれだけで姿勢が多少よくなるんだけど、浴衣になって帯が半幅になると、姿勢がいいかどうかの差が出ちゃうんだよねー。

 実は私、姿勢が悪いというコンプレックスがずっとあった。理由はよくわからないけど、気がついたら姿勢が悪かったのだ。腹筋・背筋が足りないのかも。でも結局のところ癖なんだよね、きっと。

 八丈島オフでぶりさんに姿勢レクチャーを受けた。私としては胸を張りすぎ、というくらいでちょうどいいみたい。あと、左右のバランスも悪くて、右が下がっているよう。これは多分、仕事で重い荷物を右肩で持っているせい。

 姿勢が課題だなあ、と思ってからクラシックバレエを始めた(もちろん姿勢のためだけじゃないけど・・・)。あと、鏡を見るたびに姿勢チェック。通勤バッグをリュック仕様にしてなるべく両肩で荷物を持つようにもしている。それでも無防備に写真撮られたりすると、自分の姿勢の悪さにがっくり、な日々なんだけど。

 さあ、今年も浴衣の季節が来る。日々精進、なのだ!
posted by mizuho at 22:31| Comment(6) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月17日

暑いよね!絽?紗?

 ついに出た真夏日!一体日本は、地球はどうなっちゃったんでしょ?『不都合な真実』DVD出たから、買おうかな〜。(書籍版もあり。)
 この時期、「季節と着物のルール」については初心者時代から話題にしてましたが、もうやっぱり昔と今は気候が違いすぎるよ!と叫びたい。アスファルトと土の体感気温も随分違いますが、そもそもの気温が「ありえない」今日この頃です。

 袷と単衣の切り替えは何時?と考えて、「半袖が相応しい気温だったら単衣」というセオリーを編み出した(検証中)んですが、「袖無しが相応しい気温だったら夏物」という理論はどうかな〜?
 夏日、という言葉がありますが、25度を越えたら「暑いなあ」と思う。そこを越えたら、最も簡易で涼しいモードにしていいと思っているのに、30度越えなら!!!
 昨年、浴衣ばかり着て結局1回も薄物着なかったので、今年は着るぞモードの私。初お仕立ての正絹絽、バーゲンで買ったポリ絽、ボロ市でゲットしたまだ未着用の紗‥用意だけは万端です(苦笑)。
ラベル:着物 暑さ
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2007年06月16日

着物とHello Kitty

hachijo 064.jpg 黄八丈工房で見つけた、ご当地キティ。黄八丈の着物着てます(笑)。髪にはハイビスカスが‥ちゃんと「東京都亜熱帯区」八丈島のキャンペーンガールになってますね。

kitty matomage.jpg 髪をアップにするための整髪料マトメージュがなくなったので、新しく買いに行ったら、ここにもキティが!(驚)
 別に和装に限った商品ではないのですが、キティはピンクの浴衣を着ています。アップ髪は、てっぺんお団子、パールの髪飾りで巻かれています。今風です。浴衣シーズンのギャルを狙っていると思われ。

 何でもアリのサンリオ商戦には、まったく恐れ入ります。が、吹き出しつつうっかり心動いてしまうのも事実(笑)。うまいなあ、と思います。

 何を隠そう(隠してましたが)、一時キティラーでした(恥)。8年くらい前かな?(遠い目) 子供が乳児〜幼児だと、子供服など買いに行くとどーしてもキティものが目に入るでしょう?それでつい‥。あれ、ハマるともう買いたくてしょうがなくなるんですよね。絶妙に手に入る値段なのも危険。文房具やら食器やらが徐々にキティ化し、友達からのプレゼントも「好きだったよね?」と把握されて鰻上り。ついに純金キティ(お財布に入るようなサイズで5万円だったかな?ノリとしては記念金貨に近い)が現れた時は、「買おうかな?」と真剣に検討しました。
 しかし、ある時ふいに「このままではいけない」と目が覚める(^^; 何か、「なりたい女性像」と「キティラー」の間に不調和があることを直感してしまったんですね。自己紹介にある通り、私の目指す女性像は「上品な紬で日傘をさして城下町を歩いたり、能楽堂に出入りしたりする」マダム路線と、「粋な格子柄の昔着物にキリリと矢の字を結んで、冷やの日本酒を手酌で飲(や)り、最後はズズっと蕎麦を手繰ってフラリと去っていく」男らしい路線(笑)が2大潮流。そのどちらとも、キティが合わなーーい!(^^;
 ま、お土産グッズやお笑いアイテムとしてちょろりと取り入れる分には、遊び心があってむしろいいんですが、「追い求める」「集めまくる」「身の回りに徐々に増えてく」っていうのはどうも‥。というわけで、キティからは「卒業」しました。
 でも、今でもこういうナイスな新商品を見かけると、血が騒ぎますよ(笑)。

 ところで、純金キティについて関連記事リンクしようと検索したら、ハローキティ純金大判小判なる商品を発見しました。大判小判セットで漆箱入り50万だそうです(驚愕)。ま、金が本物ならその値段になるんだろうなー。

 ハローキティが歌舞伎の演目「金閣寺」の雪姫に扮している場面を表現いたしました。

そうです。サンリオ、更に更に恐るべし。
 私の心を鷲掴み(笑)にし、最も安価なものから最も高価なものまで次々と驚きの展開を見せるキティ。海外でも「Japanese cool(=カッコいい日本)」の一つなんだとか。商売上手‥と表現してしまうとあんまり響きよくありませんが、「着物文化プロパガンダ」の使命に燃えた(笑)現在の私からしますと、考えさせられるものがあります。すなわち、多くの人の心を狂わすとはいかなる現象かと。
 着物も「病」化しやすいですから、キティと精神構造つながる部分はあるはずなんです。日本全国津々浦々にキティ病の人が蔓延しつつ、「ついうっかり」楽しんでしまう厚い層がいる。サンリオに学ばねばなりません(決意)。

 高額キティ、確か限定バージョンで軽自動車があったはずなんだよね。車、貴金属に続いて、高額商品はどこまで行くか‥といったら、キティ不動産!(マンションか?) キティ・プライベートジェット!(特注か?)あああ、できそうでコワイ!
 そうだ、その前にキティ振袖できるかな?やっぱり「キティ」と着物は「思想的に合わない」から現れないかな?嗚呼、考えてると止まりません!(>▽<;
posted by eribow at 23:35| Comment(19) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

着物ライフ「第二歩」の単衣

 着物歴3年目に突入の私ですが、当初は単衣(ひとえ)を一枚も持っていませんでした。浴衣が2枚母からのお譲りの袷が3枚、まずはここからスタートです。
 というか、私、単衣という存在を知りませんでした。男性のスーツのように、見かけは同じようでも、季節によって生地が違うことは、漠然と想定はしていたと思いますが、単衣のような「中間物」は知らなければなかなか想像の範囲には存在しません。

 「週一着物」を決意したのが3月だったので、ほどなく、このままだと「暑くなって着られない」ことが分かってきました。かといって、浴衣を着るには早すぎる。「着物が着られるようになろう」と張り切っていた私には、1,2ヶ月の空白期間も耐えられないことに思われました。
 そこで、ドキドキの初単衣購入に踏み切ったのです。ドキドキの理由は、着物選びの勘所が全く分からず「後で後悔しないようなものをちゃんと選べるんだろうか?」という心配半分、「お金かけない(かけられない?)」私にとって5,000円以上の衣服を購入することへの抵抗半分。ああ、それでも勇気を出せたのは、「かないや」という、店員さんが親切で押し付けがましくなく、高くないことも分かっているお店が身近にあったからこそ!
 初めて買った白い紬の単衣8,000円。激安度を高めた現在、だいぶ高く感じますが、結城風の軽くてよさげなモノを、多少傷物ということでお買い得に買って、初心者にしては大成功でした。
 その後、知人から茶の紬お譲り、叔母からお嬢さん花柄小紋お譲り、世田谷ボロ市で白のサマーウールと紫の縞お召しゲット、と、増やすつもりも特になかったのに順調に増え続け、木綿着物も3枚になり、単衣シーズンに着られるものが一杯になりました(感涙)。

 「ごっそり一式」お譲りされるパターンなら単衣も最初からありそうだけど、誰もがそうではない。手持ち、浴衣とお譲り袷からスタートする人は多いんじゃなかろうか。あるいは最初に購入するのは袷。そこらへんがきっと着物ライフ「はじめの一歩」だよね。それに対して単衣は「第二歩」だと思うのです。
 今では短い単衣シーズンに、週一では着きれないほどの数を所有するまでになりましたが、「単衣」がないから着られないという焦りや悲しみ、「単衣」を手に入れて自由度が広がり「着物ツウに一歩近づいた」誇らしさは、まだまだ生き生きと思い起こすことができます。
 単衣のシーズンが来て、単衣を身にまとうと、「あたし、単衣持ってるんだぁ〜♪」と覚えたての単語を心の中で反芻した時の「ワンランク上がった」快感(笑)を思い出します。懐かしいナ〜

<mizuhoのコメント>
 へえ〜そうだったんだ。私の場合は最初にもらったのが木綿の単衣とウールの単衣だったので、逆に「袷」を認識してなかったよ。まさに浴衣の延長。季節の違いは素材の違いだけかと思ってた。
 どっちにしても、区別ついてなかったのは同じ。最初って、どれをどの季節に着ればいいのかよくわからないんだよね。とりあえず着てみて暑いかどうかで判断してみたり(笑)。
 本を見れば名称は書いてあるけど、今目の前の着物がどれに該当するのかよくわからなかったりするんだよね。
ラベル:着物 単衣
posted by eribow at 23:23| Comment(7) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月28日

着物で漫画喫茶には泊まれ‥ます

 「着物でバイオリン演奏」「着物で立ち飲み屋」と続いた、「着物姿での限界を探る」大好評ネタ第三弾です。
 前者は「運動性能を制限する長着スタイル、汚れや破れを厭(いと)う高級生地」という条件による足枷、後者は「フェミニンなドレスコード」ゆえの制限を暴きましたが、今回はその折衷とも言える話題であります。
 そして、今回は「こんなことはできないだろうな〜」じゃなくて、「やっちまいました!」ネタ、武勇伝の新たな一頁ですA(^^;

 イヤー、実は昨夜、着物で漫画喫茶に宿泊しました。
 吉祥寺で参加した、karakoroさんのフリマ打ち上げ。「着物友達」と「飲み友達」が一致しない、という不満がずっと潜在していた私にとって、「酒好きな着物好き」が集う機会にけっこう舞い上がる。日中の猛暑で乾いた喉を潤すチューハイ&ビール。変わった銘柄にお試し欲を刺激された、コーヒー焼酎→蕎麦焼酎→トマト酒(度数は普通の焼酎と同じ)。その途中に店長からのサービス?であるテキーラの一気飲みなどという一杯も挟まれていたりして、大変危険な展開であったことは、今にして気づきます。
 そして、吉祥寺はやっぱり遠かった。ずっと立っているのはしんどかったので、着席を選択してしまったのです。昔と違って夜飲みはあまりしていないので、やっぱり自己コントロールは甘くなっていた。気づいたら、大船駅で終電を失ってました(~▽~;
 大船と鶴見って、何kmくらいあるんでしょう?JRの運賃だと380円。時間にして30分くらいでしょうか。深夜料金もあって、タクシーは高いです。そもそもケチンボな我が家では、病気でやむを得ない場合を除き、タクシーはご法度です。だんなに電話口で愚行を叱られ(当然です)、初めて降り立つ夜の大船駅前で、腹を括って漫画喫茶で夜を明かすことに決まりました。

kichijoji 053.jpg 住宅地域大船、終電のなくなった夜の町は、閑散としています(T-T) 駅前ならあるだろうと高を括っていた漫画喫茶が意外にもなかなか見当たらず焦る。ようやく、どこにでもあるようなチェーン系ではなく、見知らぬ名の漫画喫茶を一軒だけ発見。

kichijoji momenkimono. 2.jpg 幸いなことに、この日の着物は木綿。汚れても気にしないし、寝心地も良さそうだ。帯はよさげな絹の名古屋でしたが、これまた何と幸いなことに、日中のフリマで木綿の半幅帯をゲットしたばかりだったのです!運命?(<違)

kichijoji 054.jpg 実は私は漫画喫茶はたった一回、昼間に1時間ほどいたことしかありません。勿論、そこで夜を明かしたことなどありません。心細くてドキドキしますが、タクシー代には替えられません(T-T)
 いくつか部屋のタイプが選べましたが、床にごろんと転がれる座敷タイプ(絨毯敷き)を選択しました。横たわるのがやっとの、タコ部屋空間。ここで着物のままで夜を過ごそうというのです。ああ、なんて野趣溢れるのかしら!>自分 料金は4時間で1,100円でした。
 ちなみに床に置いてある大きい紙袋2つは、フリマ戦利品たちです。

 個室に入るとさっそく帯を半幅に替えます。着付けも若干緩めて、就寝の体勢へ。体の前で片ばさみにしましたが、考えてみたら後ろにくるりと回す必要はない。体の前で結んだままにします。
 電車の中で爆睡したせいか、固い床とぶわぶわのクッションが快適でないからなのか、寝付けません。仕方なく安野モヨコの『ハッピーマニア』を読みながらうつらうつらしてました。

 始発の時間に目覚ましをかけ、店を出る。5月の朝は早い。澄み切った冷たい朝の空気の中、下駄をカラコロ鳴らして歩く。久しぶりの朝帰りです。
 嗚呼、マンキツで夜明かしなんて、着物云々以前に、妻として母として、そしていい年こいた社会人として、かなり恥ずかしいと思うのは私だけではないですよね(T▽T)
 飲み会の二次会では、サークルkarakoroさんのメンバーの中で「泥酔部」と自称する人たちが含まれていて、私も「泥酔部入部〜♪」などと調子こいていましたが、文字通り泥酔してしまいました。どこへ出しても恥ずかしくない、いやどこへ出しても恥ずかしい、立派な泥酔ぶりです(T▽T)

 図らずも実践してしまった「着物で漫画喫茶泊」。木綿着物ならOK♪という知恵‥は皆さん、生かさないで下さいね(遠い目)。
ラベル:着物 漫画喫茶
posted by eribow at 18:22| Comment(24) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月24日

「技能」としての着付けと英会話

 ずーっと長いこと、「着物が着られる」って憧れでした。「自分で着物が着付けられる」って、「すごい!」と尊敬していました。
 今私はその「夢」を体現しています。着付けが「できている」かどうかは、自分としてはお恥ずかしい限りなのですが、ま、「自力で身につけて、一日外を歩き回る」ことが可能になったのは、一応憧れ通りだと言っておきましょう。

hanaotome 003.jpg 写真は、先日のイベント「花おとめ」会場付近にて。昔風の着物を着て。「絵」のお太鼓を背負って。髪をアップになんかしちゃったりして。ニカッと笑った表情も、軽やかに着てる雰囲気ですよね。

 「できる」「できない」の差は大きい。ちゃんちゃらおかしい着付けでも、できないのとは全然違います。「なんて便利なんだろう」と思います。
 で、いつも思うのは、英会話(まあ他の外国語でもいいんだけど)と似てるということ。

 実は、私はちょっと英語が話せます(エヘン)。中学2年生レベルくらいかな(^^; 字幕なしで映画見るとか、国際会議をヒアリングするとかはとても無理だけど、買い物とか、日常会話とか、その程度でもなんとかなる。
 本格的なレベルでなくてもいい。自分が便がいい程度に身につける「技能」。最初だけ少し努力が必要だけど、一度身についたらずっと使える「技能」。そういう点で、「簡単英会話」と「簡単着付け」は似ている気がします。ま、英語の方がずっと大変だ(った)けどさ(^^;
 習うより慣れろ、理屈だけでなく、とにかく場数を踏むことでしか上達しない、というのも似ている。
 そして、ちょっとだけできた時のウレシさ♪なんかねー、どちらも、ものすごーく「自由」度が高まった気分がするのです。

 日本人って完璧主義だから、「どこへ出しても恥ずかしくない語学力でなければ喋れない」「どこへ出しても恥ずかしくない着姿でないと着ていけない」という風潮がある気がする。その高いハードルが、結局は「何もできない」レベルに押し込めてしまうのだと思う。
 私のインチキ英会話(笑)。私のインチキ着付け(大笑)。日本人の繊細な感性から外れた、怠け者の見切り発車的な越し方が、「できて嬉しい」「自由でいい気分」を生んでいると思う。

 最初のほんのちょっとは、「教育」なのですよね。そしてその後は、「とにかく実践」。その2つさえ揃えば、ものすごーく世界が広がる、ということを、英会話と着付けで感じるのでした。
 しかし、並べて単語にすると、すごい「教養」って感じですね(爆)

posted by eribow at 10:39| Comment(6) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月17日

着物に恋(3)

 「週一着物」を決意したのは2005年3月のこと。それから2回目の春が巡り、私の着物ライフは3年目に入りました。
 着物LOVEの感情があまりにも恋愛に酷似しているので、「着物に恋」「着物に恋(2)」という記事で熱く(笑)語ったのはもう昨年の夏のこと。熱は冷めてませんよ、ゑゝ!(-_☆
 恋というのは、考えると頭がカァーっと熱くなって、胸がきゅっと締めつけられる。カァー&キュッ、今でもですよ(驚)。重症ですね。
 恋愛っていいよね〜何と言うか、生命のエネルギーの迸(ほとばし)り。理屈抜きの情熱。しかもそれが儚く消える「勘違い」などではなくずーっと長く続く。体質の違う人にはなかなか分かってもらえないかもしれませんが、ウム、いいもんです。
 もし私が着物に情熱的すぎてちょっとヘン、と見えるとしたら、むべなるかな、「恋の病」だからであります。

 今までもいろんな趣味を遍歴してきて、それなりにいつも熱くハマるんですが、ここまで恋愛チックなものはあまりない。
 強いて言えば「沖縄」がそうだったかな〜。あれも、胸がときめいて、熱くなって、心の芯が切なくなる。ながーくおもーくなったのも同じ。ま、着物も沖縄も「着物熱」「沖縄病」という言葉が割に普通に用いられることからも、私でなくとも一般的に「病」化、「重症」化しやすいジャンルではあるようです。
 でも、沖縄は「抜け」ました。着物のせいで(爆)。いや、いまでも勿論大好きですよ、飽きたわけではありません。でもかつてのような「毎日頭一杯」のような現象は、すっかり着物に道を譲りました。

 最近の私が「語り」に走りがちなのも、かつては「会うだけで幸せ♪」と単純だったのが、「私の愛したこのヒトの素晴らしさを皆に認めてもらいたい」に進んできたからとも思われ。売れないミュージシャンや大発見目前の科学者のように、私はその価値を絶大に認めているのに世間からは省みられない、という状況があって、それに憤慨している、という感じかな。気分は糟糠の妻です(鼻息)。

 「惚れてる」割には、毎日着ようとは思わないんだけどねA(^^; へへへ
ラベル:着物
posted by eribow at 23:22| Comment(9) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月15日

着物で立ち呑み屋へは行けません?!

 「着物ではできないことネタ」第二弾です。今回は、表題の通り、昨今大流行(はやり)の立ち飲み屋を取り上げてみたいと思います。
 前回は、アスレチック、バイオリン演奏を取り上げて、主に「運動性能」の点から、和服=長着スタイルへと矮小化してしまったゆえの困難に視点を置いていました。話が、フラメンコ、運動会、お砂場遊び、木登りと順調に展開しましたのは、皆様からの豊富な情報提供によるものです。ありがとうございます♪

 さて、「激安着物生活」でお馴染みの畏友・天和斎(てんほうさい)さんが我が家にお越し下さった昨日のこと。うちで軽く夕飯食べて、帰りに駅まで送りがてら、駅前の立ち呑み「とんちゃん」に寄ってみようかと思いつく。いつの時間帯でもお客さんで賑わっていて、たいそう繁盛していますが、どーも女性一人では入りづらくて、また近所のママ友を誘うような理由もなくて、未踏だったのです。酒飲みの天和斎さんなら、つきあってくれるに違いない!(希望)
 が、天和斎さんは和服。しかも、上品な海老茶の江戸小紋に、紅型風の名古屋帯。「この着物で立ち飲み屋はちょっと無理だよねえ」と私が言うと、「ええー、私は人にどう見られるとか全然気にしないよ、平気だよ」とのたまう。「うーん、私だったらちょっと無理だな。」と弱腰になりつつも、どうせ途中なので、店の前を通ってみることにする。

とんちゃん 遠くからもよく見えるデカい赤提灯。カウンターだけの店内は、暖簾を跳ね上げてあるので、丸見えです。店の外にも箱を積み重ねて板を乗せただけのショボい簡素なテーブルが2,3卓用意されていて、外の席までお客さんでいっぱい。お客は仕事帰りのサラリーマン、作業着のあんちゃん、競馬場帰り風のおっさんなど、男くささ満点です。焼きものと煙草で、もうもうと煙が立ち昇っています。おまけに駅前ロータリーに面して人通り繁(しげ)く、お客はほぼ「見世物」状態です。
 実は、オープンな店構えと明るい雰囲気からか、普段はけっこう女性客もいるんです。ギャル風のおねーちゃんやら、地元密着型ジャージのオバさんなど。しかし、昨日は見事なまでに男性ばっかりだった。
 「ねっ、着物だと入りづらいでしょう?」と店の前で立ち止まって、覗き込んで女性客を探す私。天和斎さんは「うっ」と絶句し「これは私でも無理だわ〜」と弱音を吐いた。「やっぱりね」と納得する反面、「なーんだ」とちょっとがっかり(笑)。飲みたい気分はあったので、「いいじゃんいいじゃん、入ろう、飲んでいこう♪」と言ってくれたら、それはそれで嬉しかったんだけどな〜。

 さて、このエピソードが指し示す「着物でできないこと」、それは着物の持つ「上品」「優雅」「女らしさ」に起因すると思われ。
 男性なら、よかったかもしれない。どカジュアルな木綿やウールの着物だったらよかったかもしれない。しかし、はんなり小紋に、赤い帯は、ウツクシすぎた(^^; (ポリだったのか〜そうは見えなかったぞ!)皆さんに「雛人形のよう」と賞賛された白く艶のある肌と、おちょぼ口風に引き締められた口紅の和メイクも、かの店の客には似つかわしくなかった。
 天和斎さんがどこまで「周りの目を気にしない」のか興味あったし、別に自分じゃないからよかったんだけど(爆)、ためらって止めてくれた彼女に、ちょっとほっとしました。

 20代の頃、友人の結婚式に出席した時、「この格好でできないことは何だろう?」と考えて「振袖でディスコのお立ち台は無理だな」と思いついたことを覚えています。あと「酔っ払って吐くのもイカンな」とも。(注:どちらも当時よくやっていたことです 恥)
 そう思いついた根拠を考えるに、「傍から優雅に見えないこと」は、(私的には)NGだと思われます。

 実は、振袖でボージャクブジンなとある有名女性を知っています(^^; だから、厳密に言うと、「着物でできなくもない」ことだとは思います。しかし、「浴衣でアスレチック」同様、物理的にできなくもない、ということと、私が「できない」と定義したいものとは異なります。
 知らなくて踏み外してしまった人は大目にみましょう。人より目立つことで収入を立てねばならない職業の人のことは別にしましょう。それ以外の、ある程度以上の着物好き女性は、「煙モウモウの男だらけの立ち呑み屋」は厳しいのではないかと思います。

 と、ここまで書いて、酔って気が大きくなった私は、もしかして何でもやってしまうかもしれない‥(-_-; と恐怖に襲われました。鶴見の「とんちゃん」で一杯やっている着物姿がいたら、それはきっと私です‥(~▽~;
posted by eribow at 15:06| Comment(22) | TrackBack(2) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月14日

着物ルーツ・古代中国の衣服

 家の「お片付け」の一環で掘り出された、未使用の古ーい絵葉書に、古代中国の偉人が描かれておりました。かつては興味のカケラもなかったのに「着物を見る目」で見た現在、めっちゃ興味深い!これはまさに呉服‥日本のキモノの源流ではないですかっ!(@_@;

no-title このお方は、張仲景(ちょう・ちゅうけい)という、後漢代のお医者さん。紀元200年頃と言われています。

 襟合わせ。重ね。袂。裾。パーツ、構造が、非常に「キモノ」を思わせます。上着は、何だか道中着みたいですね。裾は完全にAラインです、現代のお直しおばさんに見られたら「アラアラみっともない!」と注意されちゃうでしょうね(爆)それとも袴的なものなのかな?
 身の真ん中に何かぶら下がったものは、室町〜戦国時代の衣装である能装束で見かけるものとよく似ています。細帯を締めた余りを装飾的に前に垂らすもののようですが、見るたびに「現代でいえばネクタイみたいなものかな?」と思っています。あるいは首からぶら下げるネームタグ?

 袂は、振袖のように長いですね。そして、長襦袢と丈が合ってません。やっぱりお直しに‥ってちがーう!(^^; 身分が高くなるほど、衣服は装飾的に、非実用的になる傾向がありますから、この袂の長さから、おそらく身分の高い人なのだろうということも読み取れます。
 この方より150年くらい下った時代に『肘後備急方(ちゅうごびきゅうほう)』という医学書があります。肘後、というのは、袖の下、まさに袂のこと。備急というのは、もしものときに備えて、とか応急処置とでもいうような意味で、方は方法のこと。現代訳すれば「救急ポケットマニュアル」です。ポケット、の部分が「袂」であることが大変面白いですね。
 衣服に袂がある。袂はモノ入れとして使われる。この構造を理解していないと、1700年前の古書のタイトルがピンときません。もしも和服が完全に忘れられていたら、古代中国に「ハンドブック」があったんだというイメージ作りが、ストレートにはできないに違いありません。

 張仲景とは、中医学の礎の一つとなった『傷寒雑病論』という不朽の名著を残した人です。驚いたことに、現代でも薬局や病院で処方されるメジャーな「漢方薬」の中には、この本に載っているものも沢山含まれるという、歴史的にもそして臨床的にも非常に優れた医学書です。
 日本では稲作が始まり、邪馬台国が現れ、古墳が作られ、やっとこさ「社会」ができ始めた頃。殆どの日本人は竪穴式住居に住まい、食事は手づかみ。そんな頃に、このような衣服をまとい、文字と歴史と社会制度を持ち、「医学」までも発達させた海の向こうのお隣の国は、日本にとって目も眩む先進国であったことでしょう。
 後漢の次が、魏・呉・蜀三国時代。この絵は、和服のルーツ「呉の服」のそのまたルーツなのであります。

 かつてだったら「現代では滅びたなんだかダラダラ重ね着した服」にしか見えなかったであろうこの衣服が、連綿と続く構造を同じうし、細かいパーツは変遷している、着物との対比で観察できます。和服によって獲得された「視線」は、こんなに遠くまで届くのだ、と感慨。
posted by eribow at 23:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月13日

着物着てるだけで影響

 「言葉に出して誘わなくても着てるだけで影響することもある。。。のね。」とは、百合さんのブログで見かけた台詞。読みながら、思わず首を激しく縦にブンブン振ってしまいました。そう、私自身が「着ている人の影響」を受けて、現在の着物ライフに至っているからです。

 着物歴のカテゴリでは何度も触れていますが、私の着物ライフ開始に決定的に影響を与えたのは、とある一女性の着物姿。今は顔も名前も覚えていない、まさに一期一会の人なのに、私のその後の人生を変えたと言っても過言ではありません。
 振袖ちっくなお嬢様や、格調高いおばあさんの、着物のイメージを打ち砕く普段着らしい格子柄。目から鱗の「居酒屋の飲み会に着物」。子育て先輩であり、バツ一シングルマザーという大人の女性への尊敬。彼女のカッコよさは忘れがたい印象を胸に刻みました。

 だから、私は、いつどこで誰にどんな影響を与えているか分からないぞ、と思いながら着物を着ています。町中で、お店で、電車の中で、「へええ、着物っていいなあ」とか「ああいう着物もアリなんだ」とか「楽しそうだなあ羨ましいなあ」とか、思われるかもしれない。それがきっかけで着物を着てみようと思う人が、現れないとも限らない。そこまでダイレクトな影響でなくとも、心のどこかにその像が刻み込まれて、いつどこで「芽を吹く」かも分からない。
 毎年近所の花火大会には浴衣で行っているんですけれど、毎年徐々に浴衣率は上昇しています。それも、私の着姿が響している可能性あるんだよ(爆)。特に、男性の浴衣率が上がっているのは、細身で(いちおう体型は)かっこいいうちの夫が浴衣着ていっているせいではないかと、密かに自負しております(-_☆

 どうせすでに着物が好きな人しか読みに来ないこのブログでいくら吼えても(笑)別に着物人口は拡大しませんが、「ただ町中で着ている」ということだけで、ぜぇーーったい影響はあるって。
 私がかつて与えられたような「忘れられない出会い」がどこかで起こっていることを、そして次の世代へのバトンになっていることを、祈りつつ信じつつ、婉然と微笑んで着ていたいものです。
ラベル:着物
posted by eribow at 23:18| Comment(14) | TrackBack(1) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月12日

Gメン'75で見た着物ネタ

 「普段着物が廃れ、奢侈品へと変化していく」現象の研究に勤しんでいる今日この頃です(笑)が、懐かしのTV番組の中にもそんな片鱗を発見しました。
 それは『Gメン'75』。1975年(昭和50年)5月24日から82年(昭和57年)4月3日まで7年間に渡って355話放映された、刑事ドラマの名番組です。小学生だった私にとっては「大人」を感じさせる、でも理解可能な(笑)番組で、めっちゃハマってました。

 ケーブルテレビでの再放送を夫が見ていて、「着物が出てるよ〜」と呼んでくれたので、チラチラと横目で齧り見しました。呉服店に勤める二十歳(はたち)前の女性が主役のよう。自分ではとうてい手が出ない高級な振袖に心奪われ、ついに商品に手を出してしまう。その弱みを握った社長?理事長?にゆすられる。そしてその怨恨‥というようなストーリーだったようです。
 その犯罪動機、お話のテーマは、「若い女の子なら誰でも夢見るような素敵な着物、しかし現実は若い女の子のお給料ではとても買えない。目の前に欲望を刺激するモノがぶら下がっているのに、それを手に入れるすべは与えられていないという消費社会の残酷。」のようです。30年前にはすでに着物は奢侈品の典型になっていたということを示す、興味深い例ですね。へぇ〜ボタン連打です(笑)。

 しかーし、ドラマならではのいろいろな不自然な点が。
 Gメンに追い詰められた犯人の少女は、「私の着物!」と絶叫しながら着物をむしりとるのですが、もみ合ううちにビリビリと裂ける。犯罪を犯すまでに着物を愛した者が、そんな手荒な扱いをするものでしょうか?(^^;
 また卑劣な社長?にゆすられた少女は貞操を奪われるのですが、コトが終わって呆然と横たわる彼女に、男は件(くだん)の着物をふわりとかけてやる。するとそこには純潔を失った印として、血の染みが‥って血だよ?!(動揺) 女は店員、男は経営者、ともに呉服屋だろうに、そんなことするか?!染み抜きはどうしたんだ?
 あああ、脚本を書いた人は、着物に興味も知識もないに違いありません(T-T)

 30年前なので、発想が古いな〜という部分はいろいろあり、「体張ってまで着物ほしいかな?」とか「がんばってローン組めば買えるよな?」とか「エロ親父に利用されたからって、人生台無しってほどのことかなー?」とか、突っ込みどころ満載。ああ、でもその時代感がGメン'75の人気の秘密でもあるのかも(笑)。
 しかし、先日話題にしたばかりの『三丁目の夕日』の昭和30年代に「姿を消した」着物。それから20年後の昭和50年代には、「庶民には手が出ないもの」が常識になっていたことが伺えます。先日、126円で入手した着物を高額品と誤解された事件も、30年前からの常識からなのだなーと理解ができますね。
 このストーリーから着物というものが、虚栄(=中身ではなく見かけ、自らの価値観ではなく他人との比較による)であり、奢侈(=必要なものではなく無駄なもの、精神的なものではなく物質的なもの)であるものになっていっている過程が露呈しています。そのことはちょっと哀しいけど、一方で、そこまで「憧れ」があったことも確か、という側面は嬉しくもありますね。

 なお、情報の一部はチャボ&飛鳥さんのGメン'75のページを参照させていただきました。ありがとうございました>チャボ&飛鳥さん。充実のページにぴっくり。Gメンってやっぱり私の世代には外せないのね(笑)
posted by eribow at 23:42| Comment(4) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月09日

ALWAYS 三丁目の夕日、着物が消えた日

 ケーブルテレビ放送で、『ALWAYS 三丁目の夕日』観ました。人気のある‥いいお話‥なんでしょ?でも私はちょっと変わった感想をいだきました。「ああ、この時代に(普段)着物は死んだんだ」と‥。

 昭和30年代が人気ですよね。プロジェクトXの東京タワーがハイピッチで建てられるドキュメンタリーも観ました。新横浜ラーメン博物館は昭和30年代の町並みを再現して、人気を博しています。
 戦後のドサクサと貧しさが色濃い20年代を脱し、殺伐とした高度経済成長期を迎えた40年代はまだ訪れていない、古さと新しさが同居したつかの間の生き生きした時代。現代人は、そこに「ノスタルジー」を感じるようです。私もそう感じていました。
 しかし「和服はいつ何故、捨てられたのだろう?」という謎解きがいつも心に引っかかっている今日この頃A(^^; この映画を観て、「ああ、この時代が転換点だったのでは」と思い当たる。「古きよき」「懐かしい」「温かい」と言った言葉で語られることの多いこの時代が、私には、着物たちを否定していく過程と重なって見えたのです。

 東京タワーが2年に満たない短い工期で(=あっという間に)できる。TV放送が始まり、速攻で庶民に広まる。その過程は、それまでの日本のスタイルを捨てて西欧化し、それまでの農耕民族的ライフスタイルを捨てて産業社会化していく過程と、そっくりシンクロしている気がする。日本より欧米を、自然と一体化した暮らしよりも文明を、地縁血縁よりも都会の個々人を、愛好し重視する強い強い流れが形作られ、いつの間にかそれが「懐かしい」「もともとの」日本と錯覚されていく。
 「進んだ」洋服がもてはやされて「時代遅れの」和服は日陰に追いやられていく。残った和服は「普段着」「実用品」から「晴れ着」「奢侈品」に押し込められていく。
 平屋の暮らし、土に近い暮らしから、アスファルトと高層ビルの時代へ。徒歩から車へ。木造家屋からコンクリ住宅へ。暮らしの激変を象徴するのが、東京タワーに思えました。東京タワーの建設とともに、着物が滅びたんだ、という思いを抱かずにおれません。

 例えば、ストーリーの中で登場する「サンタクロース」への憧れ。昔の日本に、そんなものはありませんでしたよね(^^; でも、それは少年の心の奥深い琴線に触れるものとして描かれている。
 例えば、血のつながった親子よりも、都会に流れ着いた個人と個人の絆が重く描かれている。
 「何でも注射で治す」お医者さんが、西洋科学技術文明を象徴している。
 お母さん役の薬師丸ひろ子は割烹着は着ているけど、着物は着ていない。
 人々が熱狂するのは、大相撲ではなくて、プロレス。
 私たちが「古い昭和」として知っているものが、実はその当時付け加わった「新しいもの」だったことを、この映画は気づかせてくれました。

 昭和30年代に、着物(と着物の背景にある)文化は一度断ち切られたんだな〜、と感慨に耽りました。
 そして40年代に入り、eribow誕生。生まれた時からTVは当たり前にあり、東京オリンピックも大阪万博も知りません。

 『三丁目の夕日』ファンの人がいたら、ごめんね。でも製作者や見る人の殆どが疑問にも思わないような「懐かしさ」が、私には「哀しい喪失」に思われました。
 いつが古くていつが懐かしいなんて、全て相対的なものなんだよね。私が「東京タワー以前」の着物世界を懐かしんでも、その前、そのもっともっと前、と遡っていけば、いくらでもどこにでも「懐かしさ」は設定できるんだよね。昭和30年代以前の日本の文化が何もかもいいとは思わないしね。
 でも、私は「昭和30年代ノスタルジー」ブームを純粋に愛好できない立場になってしまいました。東京タワーが着物を殺した。違いますかね‥(黙考)。
 ちょっと暗いハナシですみませんA(-_-;
posted by eribow at 17:36| Comment(12) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月08日

着物でバイオリンは弾けません?!

 着物ライフが高じてくると、「着物だから○○できない」という発想に反感が芽生えてきます(笑)。逆に「何なら着物ではできないか?」という発想になってきます。できない、ということの殆どが思い込みにすぎないことを暴き、固定観念を取っ払うことが快感に。

 そんな流れで出た話、mizuhoが「着物でアスレチックは無理だね〜」と(^^; 自分の経験に照らして「ええー、子供たちを下からビデオやカメラで撮ってるだけだから、着物でも行けるんじゃ?」と言ったら、「いや、自分も(アスレチック)やるんだよ」と。確かに厳しい‥じゃなくって、エライねえ(笑)>mizuho
 「袴ならできるかな?と考えたんだけど、やっぱあちこちに引っかかるよね〜(悩)」って、考えたんかい(爆)。

 そして、昨日おうちフリマでその話題になり、hanaemibibiさんが「着物でバイオリンは弾けないね〜」と(^^; 音大でバイオリンを学んだそうで、人前で弾く機会もあるのだとか。肩のところにバイオリンを当てるので、着物だと滑るとのこと。
 「できないかなー?と思って、夜中に(わざわざ)着物着てバイオリン弾いてみたら、夫に『何してるの?(-_-;』って言われた」んだそう。試したんかい(爆)。
 洋装でも襟元胸元が大きく開いたデザインで、肌を出さないとダメなんだとか。そしたら、「じゃあ、極妻みたいにモロ肌脱いだら?」と誰かが言い出して、「そうだよ、その下にさらし巻いて!」「それでバイオリン?カッコいい〜♪」と大盛り上がり(爆)。「それでまた夜中に試してみたら?」「だんなさん、もっと『何してるの?(-_-;;;』になっちゃうね」などともう皆勝手なことを‥(笑)。
 「紬なら滑らなくていいんじゃない?」という案も飛び出しましたが、「ちょっと待って、コンサートだよ?!」‥あっ、そうか、ドレスコード的には訪問着クラスだもんねえ。やっぱり‥さらししかないか?(爆)

 いやはや、「着物だとできないこと」ネタは面白いですね♪
ラベル:着物 バイオリン
posted by eribow at 12:36| Comment(20) | TrackBack(1) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

少数でも、和服

 衣服というのは社会性の強いものだから、そのあり方が「数」に左右される度合いが大きいことは間違いないです。しかし、いつでも数が正義ではない。いいものはいいし、正しいものは正しい。多数に迎合し、少数を蔑ろにするのは、人間の性(さが)であるけれども、それをやってもいい時と、やってはいけない時があると思います。「着物」「和服」に関して言えば、「少数だから着ない」というのは大間違いだと思っています。
 「和服が廃れた理由」を語り始めると、このブログのペースで言えば10日分くらいになってしまう(^^; ので小出しにしますが、大きな理由の一つが「自国文化への劣等感、蔑視」だと思います。多くの日本人が、自国文化への愛着を失った。それが多数派になった。その精神風土にどっぷり漬かっていると「当たり前」に見えて気がつかないけれど、心の根の深い部分に共有されている風潮ができてしまっているのです。
 主義主張を持って着物を着始める人は見回してみてもほとんどおらず、単純に「好きだから」「カッコいいから」で始まっているのがごく一般的ですが、「着続ける」ことを選択した時、どこかでこの「時代の意識」に気づくことになります。そこでその「圧力」に接して「やっぱりヤメタ」と腰砕けになる人も少なくない。
 でもそれでいいのでしょうか?「皆が○○だから」という理由に乗っていいものといけないものがあります。「皆が○○だから」という理由に、理屈以上に感覚的、感情的に流されてそれを自分の本音だと錯覚する‥それが深刻な間違いを引き起こした例は、歴史を紐解けば沢山あります。

 和服に何の意味もなければ「皆が着ていないから着ない」という理屈は妥当だと思いますが、和服には意味があるのです。その点に、直感的にせよ理詰めにせよ気づいてしまうと、後戻りはできません。着物ってステキ♪という、個人的趣味志向を超えたものが、他の衣服と違って和服の中にはあります。
 着物は、「着ても着なくてもいい衣服」ではありません。「着た方がいい衣服」なのです。もしも、日本文化を愛するならば。国籍不明のインターナショナル人、あるいはニセ欧米人のようでありたい、というのなら、和服を滅ぼしてしまっても構わない。でも私はそうありたくないし、日本の多くの人にそうあってほしくない。着物を通して分かること、知ることは、驚くほど多い。衣服は、文化であり、言語なのです。
 「いや、俺は意味もなく好きだから着てるだけだ」という声がTさんあたりから聞こえてきそうでもありますが(笑)。

 そうは言っても、どんなことがあっても目立ちたくない、人ごみに紛れて隠れていたい恥ずかしがり屋さん体質の日本人はこれまた多いでしょう。特に男性。って、うちの息子達だよ(^^; この個性化の時代に「みんなと同じがいいから」とランドセルは絶対に黒、と主張した息子達。ママの着物姿にも冷たいです(^^;
 昆虫やトカゲの保護色じゃないんだからねー目立ったら鳥に食べられるとでも思ってるのかしら(苦笑)。
 そういう気の小さい男性や、視野の狭い子供は、時代が変わって「もう大丈夫みたいだぞ」と安心する日が来るまで放っておきましょう。それまで、自我とforesightのある一部大人男女は多少の北風が吹く日があっても、着物の世界を育んでおきましょう。着物が「コスプレ」や「行事」ではなく、「選択肢の一つ」程度に復活する日まで。

 私がこんな理屈こねなくても、きっと軽やかに場を使い分けて着物を楽しむでしょうけどね(笑)>mizuho 一緒にガンバロウ。
ラベル:着物
posted by eribow at 23:55| Comment(9) | TrackBack(1) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月03日

かっこよく自転車に乗りたい

 仕事繁忙期を抜けたので、録りだめていたTV番組や映画をぼちぼち見ている。もうかなり前の放送だけど、NHK教育テレビの「知るを楽しむ 歴史に好奇心 −京都きもの玉手箱−」を4回シリーズ一気に見た。

きもの玉手箱テキスト.jpg 実は、放送前からテキストを書店でみつけて衝動買いしていたし、 eribowの「もっと! 着物遊び」でもネタになっていたし、早くみたかったんだけどね。
 期待通り、見応えばっちりの番組だった。目の保養+知識も山盛り、ですごく贅沢。これはDVD保存版だな〜。
 テキストも面白い。でも、テキストから想像した番組とはちょっと違い、それぞれ補う感じなのね。テキストだけ買って満足しないで良かった。

 で、一番インパクトがあったのは雅やかな十二単・・・ではなく、案内人のマリンバ奏者、通崎睦美さんが自転車に乗っている姿。銘仙をすらっと着こなし、京都の町を自転車でさっそうと駆け抜ける姿がかっこいいっ!
 「着物で自転車」は昔eribowもネタにしていて、私もちょくちょく乗っていたりするけど、なかなかかっこよく乗るのは難しい。やっぱりネックは裾の乱れで、ちょっとだらしなくなってしまう。
 彼女の場合はどうなっているのかなあ、と巻き戻してチェックしてしまったが(笑)、長襦袢見えちゃってるのね。見えても全然気にならないのは、柄が華やかで下着っぽくないのと、やっぱり乗っている姿勢と慣れかなあ。ううむ、こうありたいものだ。
posted by mizuho at 13:23| Comment(3) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

着物の裾野を広げる

 「最高峰」が現れるためには、必ず「裾野」が必要である、というのが持論です。ごく一握りの人間だけが、最高級のものをギュっと握って育てていれば育つかと言うと、そうは思いません。
 幼い子供たちがキャッチボールをし、小学生がリトルリーグに燃え、高校生が高校野球をさかんにやってこそ、プロの野球が育ちます。子供たちが読み書きを習い、上の学校へ行くために勉強する風潮があり、多くの大学や研究機関があってこそ、ノーベル賞級の頭脳も生まれます。
 日本の美しい伝統着物文化があちこちで死に絶えようとしている原因は、それを買い支えた富裕層が買わなくなったという直接要因が本質ではなく、多くの庶民が和服を捨てたことに起因すると、私は思っています。生き残りのために呉服業界は高級呉服に特化し、先鋭化しました。一見無関係に見えるかもしれないけれど、大多数の庶民が着物を着なくなったことにより、庶民に手の届かない着物も滅びた(滅びつつある)と感じています。
 ぶりさんからリンクした、CHOKOさんの記事→「遅すぎた」参照。「文化が死ぬ」というのはこういうことなのか、と、しみじみ胸痛みます。

 着物の裾野を広げなければ、美しい日本の文化の一部は確実に失われます。
 草野球をする人がいない国には、野球は栄えない。「遊び」半分があってこそ、裾野は広がるのです。だから私はいつも「着物遊び」(笑)。裾野たちが厚くなければ、社会全体、文化全体の活気は生まれない。私は、イチバン下の裾野になりたいです。
ラベル:着物
posted by eribow at 17:23| Comment(6) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月28日

着物趣味もいろいろ

 着物ライフも3年目に突入、ブログのお陰で着物仲間もドンと広がり、同じ着物好きといっても幅があることを知るようになりました。ま、十人十色、同じ「日本人」たって千差万別なんだものねえ(しみじみ)。
 私は成人式の振袖体験あたりが一番刷り込み大きく、「特別な日の晴れ着」「女をワンランクアップさせるもの」から入ったので、mizuhoの「着物で生活」への憧れ、「くつろぐもの」という観点を知った時は「へぇ〜そういう考え方もあるのか」と新鮮でした。共通点の多い古い友達ですらそうなんだもの、背景の違う他人はますます差が激しいわけよね〜。
 人脈が広がるにつれて、ますますいろいろなスタイルに接し、そのたびに驚くやら、恥じ入るやらA(^^; ほんと自分の持ってる世界観なんて狭いんだな〜、と、着物世界の広がりに感心です。

 「キレイな振袖♪」という外国人観光客チックな(笑)着物観からスタートして、広がり続ける着物世界。そのたびに「そういうのもアリなんだ?!φ(・・;」と自分の世界観を上書き修正することを繰り返しております。
ラベル:着物
posted by eribow at 23:24| Comment(10) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月23日

着物は高いという誤解

 があることをすっかり忘れて「フツー」に着物ライフを楽しめている今日この頃ですが、そんなことを思い出させる悲しいエピソードを耳にしてしまいました。

 私と同じくらいの時期(2年前)に着物を着始めて、リサイクル着物を買って、時々お出かけくらいに楽しんでいる方の話です。友人の一人に「高い着物を着て自慢している」と誤解され、離れて行かれたんだとか‥(驚)。別に自慢げにしていたわけではなく、ただ「よくお出かけしている」「時々買っている」という事実だけで。
 あまりのことに、「いくらくらいの着物を買ってたんですか?(リサイクル着物の世界でもン十万だってありますからね)」と確認したら「1万以内です」。「お金かけてない、ってちゃんと言った?」ときいたら「安物だよ〜洋服と比べても変わらないよ〜って言ってたんだけど、またまたー!とか取り合ってもらえなかったみたい‥」と。

 つい最近、新聞社の男性に「着物は懐が寂しい一般のサラリーマンには買えないもの」という誤解を受けたエピソードを語ったばかりですが、またか(感慨)。
 チェーン系のリサイクル着物屋がほぼ全てのターミナル駅に進出し、骨董市も意外なほど多く催されて数百円〜2、3000円で着物が買える機会も少なくない、と知っている身としては、「着物=高価」という方程式は時代遅れに思えるのですが、一般の人にはまだまだその現実が見えていないのだなあ(悩)。
 しかし、50代の(あまりお洒落じゃなさそうな)男性ならまだしも、同年代の女性で、いまだにそのレベルの認識っていうのも、びっくりだ。100円ショップや1,000円カットの台頭で、昨日はそんな値段では買えなかったものが何でも安く買える、価格破壊日本。「今はリサイクル着物屋ができて、安く買えるようになったのよ」の一言で、「ああ、着物の世界もそうか」とぱっと解りそうなものだが‥。
 改めて「誤解」の深さを認識させられました。

 そういう誤解が蔓延しているからこそ、このブログのタイトルにもことさら「お金かけずに」を謳った経緯を思い出しました(大笑)。最近は、「世の中、着物はお金がかかると思い込んでいる風潮があるから、そうでない私たちを強調することで、自分と同類が居心地よい着物界にしよう」という当初の思いをついつい忘れがちになり、「こんなにお金かかってないお出かけした」「こんなお金かかってないお買い物した」ネタの強調が若干薄れ、花の写真でお茶を濁したりする今日この頃だった自分を反省(大爆)。
 いや〜お花ネタまだあるのになあ(悩)。せっかく写真も撮っちゃったし。ま、何を書くにしても、「着物を楽しむのに高額のお金は必要ないんだ」というメッセージは、もっともっと強調していかねば、と初心に帰りました。

 一方で着物ライフをある程度継続していると、「高価なホンモノ着物」が理解できるようになってきます。普段着ている身としては「こんなチープなもの一見したらバレバレ」という意識にだんだんなってくるのですよね。ほんのちょっと以前の見る目の養われていなかった自分にとっては、全く区別がつかなかったことも忘れて‥。
 一方では、「着物の解る」ソサエティにおいて、「何、あの貧乏な着物」と思われないように努力。一方では、「着物を知らない」大多数に向けて、「ちょっと世界が違う人」と思われない努力。両者に挟まれた「お金かけない着物好き」には大変舵取りが難しい時代状況と申せましょう。

 あと5年、10年で、日本の着物を取り巻く状況は激変すると確信しています。その暁には、悲しい誤解をなさったお友達氏は、「着物=特別な人が着る高価なもの と思い込んで傷ついた/人を嫌った自分は何て無知で滑稽だったんだろう」と恥ずかしく思うことでしょう。
 10年前、携帯電話は普及していませんでした。メールでの会話や連絡に馴染んでいた私は、携帯PCを職場に持っていっており、昼休みにはインターネットからダウンロードしたものを読んだり、メールを書いたりしていました。それをいぶかしんだ同僚とのこんな会話
友「毎日誰にメール書いてるの?」
私「うーん、(メール友達って言っても分からないだろうな)まあだんなとか」
友「何を書いてるの?」
私「えー、(普通の会話と同じだよ、何でもあるよ)夕飯のおかずは何にしようとか」
友「eribowさん、夫婦で会話してる?冷え切ってない?」
 同僚にとって、誰かと文字で話すということは奇異なことであり、ましてや同じ屋根の下で暮らす2人が文字だけでやりとりしているのは、対面の会話ができないコミュニケーション崩壊に見えたようです‥誤解ですよね(-_-; 今なら携帯電話で多くの人が済ませているごく普通の事です。
 その後5年ほどで急速に携帯メールが普及して世の中が一変したことはご存知の通りです。彼はきっとこのエピソードは忘れているでしょうけど(笑)思い出したら赤面して自分の非を悔いるでしょう。

 でも、そういうお友達は去っていって正解かもね(苦笑)。人がどんな高い着物を着ようが、構わないじゃないですか?人が自分にない素敵な服を着ていたら、素敵だなあ、とか、いつか私も着たいなあ、とか思えばいいことです(^^; 人と自分を比較して傷つく、というのは、あまりおつきあいしたくなるキャラではないですね〜。人の話をちゃんと聞いていないで、思い込みを深めていくというのも、別に着物がらみでなくてもいつかは食い違いを起こしそうな気がします(~▽~;

 このブログの工夫の一つは、具体的な金額をところどころ明示することです。「月1万円以下」って、きりもいいしイメージもしやすいでしょう(笑)。「安い」「お金かけない」という抽象的表現では、今回のエピソードのように、誤解を打破しきれないことがままあるからです。むしろ、下手を打つと「イヤミな謙遜」になってしまいます。
 ホントは金額を言うのはそんなに嬉しくないですよ(-_-; お金がないことはそれなりに受け入れて快適に生活していますけど、やっぱり時々悲しいです(;_;) できれば忘れたい事実(~▽~; それでも、世の中が追いついてきてくれて、私のこんな努力も無意味になるまでは、ちょっと偽悪的に、強調し続けていこうかな、と思います。
 いやー、どこの誰が勝手に「嫌なお金持ち」と的外れな誤解をするかわからない、ということは肝に銘じることにします。参考になりました!
ラベル:着物 高級
posted by eribow at 10:24| Comment(16) | TrackBack(1) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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