2007年09月10日

日本文学の中の着物を読み解く

 江戸〜明治・大正〜昭和初期を舞台にした小説を読んで、着物に関わる細かい描写にはっとさせられることが多くなりました。かつてmizuhoが「着物遊びの楽しみ その4 読書が楽しくなる」ですでに語ったことと同列なんだけど、幸田文の『きもの』谷崎潤一郎の『細雪』のような「着物関連小説」でなくとも楽しめる、という話題。

 たとえば太宰治の『斜陽』。舞台は太平洋戦争終戦後。没落華族である主人公一家は住み慣れたお屋敷を手放して地方に隠棲するのだけれども、病気になった時に往診にやってきた村の医者が「仙台平の袴」をはいて来た、というシーン。袴のビジュアルや種類なんか知らない過去であったら、「その時代の人だから和服も普段に着てたんだよな」程度で読み流していたであろう、本筋とは関係のない小さな箇所。今なら、「仙台平の袴」の一言で目にも浮かびますし、「元華族」の一家に対する地元の人たちの敬意、といったものを瞬時に感じ取ることもできました。

 たとえば有吉佐和子の『華岡青洲の妻』。時代は江戸後期。華岡青洲とは、当代一の外科医なのですが、当然手術着も和服(^^; 後半クライマックスの手術シーンで「柿色の麻の羽織」「紋付と同じように背中と袖の五箇所に太い組紐で作った輪を縫いつけてある」との記述がありました。
 「麻」なのは洗えるからですよね。通気性もよさそうだ。そう、着物に親しんでいないと、紋の存在すら認識することもないし、ましてや位置も分からない。また、たすきがけを日ごろ体感しているからこそ、手術の際に袂を「たくし上げる工夫」が必要であり、どんなものなのか感覚的によく分かる。
 また家族の女たちが家計を助けるために「機織」に勤しむシーン。自分が機織体験を持つ今、それがどんな作業で、どんなテンポで、生活の中でどうなのか‥が感覚的に分かる。『鶴の恩返し』の世界も今はよく分かるぞ(笑)。

 長年タイトルだけ知っていてようやっと初めて読んだ田山花袋の『蒲団』。時は明治30年代。主人公の中年男が恋する若い女の、恋人(=若い男)と対峙する場面で、件(くだん)の恋敵は「白縞の袴を着け、紺がすりの羽織を着た書生姿は、軽蔑の念と憎悪の念とをその胸に漲(みなぎ)らしめた」との描写。残念ながら、当時の習俗におけるこの身なりが意味するところを深く分かったわけではありませんが、どういうものなのかビジュアルは浮かびますし、「たぶん、若々しくてイマドキなんだろうな」ということは察せられる。

 これら例を挙げた着物シーンは「背景」にすぎず、暗喩としての小道具ですらない。それでも、どんなものかが目に浮かび、そこに作者が無意識に何を意味させようとしたか読み取れる。そして、そのほんの僅かな知識が、その場面を生き生きとさせる。
 江戸〜昭和くらいにかけてを舞台とした文学作品ならば、随分「読み」ができます。そして、その間をテーマにした名作は、それ以降やそれ以前と比べても大変多い。文庫化された定番の古典を読むならば、大抵の作品に「和服のサイン」を見て深い読みができる楽しみがあるではないですか!何だか得した気分です(ほくほく)。

 余談ですが、大岡昇平の『野火』も読みました。舞台は太平洋戦争中の激戦地。当然着物は出てきません(^^;蛆のわいた死体、衣服を破って膨れ上がる腐乱死体、ちぎれて破片となった死体‥衣服以前の話ですな(-_-; 主人公の敗残兵は、生の芋を齧り、自分の体についた蛭(!!!)を食らい、ついに人肉食に肉薄します。質感、文様、色彩などの衣服のコードを語ることは、生死のぎりぎりにおける人間性がテーマになった場合はどうでもいいことなんだなあ‥とチョッピリ感傷に耽りました。
 でも、同様の「人間の極限」をテーマにした、未読の『楢山節考』、時代はいつだか分からないけど、おばあさんが着ている着物の場面はありそうだ。あるとしたら「貧しさ」や「生活感」などを示しているはずよね?(わくわく)やっぱり、日本文学に「着物を着ることによって生まれた視線」の面白みは切り離せないかも!
posted by eribow at 15:29| Comment(7) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月28日

着物友は年齢を超えて

 着物つながりでお友達になった方々は、年代もさまざまです。先日庭園美術館にご一緒し、単衣を下さったかづこさんとは、もう何度もオフ会で一緒に遊んでいますけど、実はチョット先輩。それでも、気さくで明るくちょっと天然(笑)なキャラのお陰で、ちっとも年の差を感じることなく‥というか私のほうがずーずーしく、対等にお付き合いさせていただいています。
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 お会いした日は、かづこさんは渋い奥様モード、私はお召しのお嬢様風で、ナンチャッテ母娘(笑)。この日美術館は、ちらほらと本物の母娘も見かけましたので。ほんとは母娘というには年近すぎるんですが、私のほうが若作り着物っていうことで(笑)。

 お茶しながら、一杯お喋りしました。「この年になってやっとよく分かるようになることもあるのよー」とのこと、胸にしみじみするお話がたくさんありました。
 昔の大家族制だったら、従姉や叔母など、「母娘にしては年が近すぎる、母より若く、姉より年上」という世代の女性が珍しくなく身近にいたはずです。親の世代とは価値観が違って反発する、姉程度だと自分と同レベルで頼りにならない、そんな時に、こういう「先輩」世代が導きになっていたはずです。ほどよく他人、ほどよく親身なそんな距離を持つ層が、必要だったはずです。
 親が地方から出てきて都会で暮らした我が家は、典型的な核家族世帯。ご近所や身近な親戚に「お姉さん以上先輩」が欠けたまま育ちました。私の中に、そういう存在に潜在的な憧れがあったような気がします。

 今のところ、着物お友達させていただいているのは、20代後半〜50代後半と幅広い。そして、皆年齢を気にせずおつきあいさせていただいている。時間を忘れてお茶やお酒で語り合える。そのことが、何とも言えず気に入っています。
 イベントなどでは、60代70代の方や、20代前半の方ともお知り合いになって、ブログのアドレスをお教えして「よかったらご一緒に遊びましょう♪」とお誘いしているのですけど、私の人徳の限界なのか、その後ご連絡いただいたことはまだありません(;_;) やっぱりある程度年が離れてしまうと、躊躇する気持ちが働いちゃうのかなあ?(悩) でもまあ、その場では楽しく「お友達」できたわけだし、子育て友や職場の同僚など年代の固まった仲間よりずっと幅広い世代との交流は、ひとときであっても楽しく実り多いものです。

 ニセ母娘、ニセ姉妹を楽しむのもまた良し(笑)。異年齢の友ができるのも、着物遊びの楽しいところかな〜と思ってます。
 いつもお付き合い下さっている皆様、どうもありがとう!
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2007年05月10日

着物で知る「花への愛」

 着物を着るようになって変化したことの1つ‥それは、植物、特にお花が好きになったことです。
 「季節に敏感になる」の一環なんだけど、「着物が似合う場所」に「庭園」があったりするので、季節ごとに「花を見に行く」が口実になって着物を着たりして。
 また、柄行の知識のために、植物全般に興味が強くなったからでもある。「今の季節の花って何?」「この花はいつの季節の?」って。
 着物のために写真を撮るようになったこともある。花は、シャッターを押したくなる被写体ですよね(笑)。写真を撮るためによく見るようになり、魅力にも気づくようになりました。
 そして、着物好きさんには、花好きさんが多い!ガーデニングを楽しまれる方も多いようですね。ブログつながりでは、うまこさんや、なつさんがしばしば素晴らしい花の写真をUPしてくれているので、楽しみにしています。

 もう先月のことになってしまいましたが、近所の馬場花木園に行った際、公園の名の通り、たくさんの花があって、沢山見てきました。
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 見事な牡丹に芍薬。現代では薔薇に押されて「美の象徴」として語られることは少なくなっていますが、ものを見るとなるほどと納得します。牡丹、デカっ!

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 藤棚、水仙、桜草。

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 和紙の原料、三椏(みつまた)。白くてきれいな花なんですね。真っ赤な木瓜(ぼけ)。名前は酷いけど(笑)美しいです。八重桜。花に囲まれて、何度写真を撮ったことでしょう!

 同じ着物でも、男性の着物や、昔の庶民の着物は、無地や幾何学模様が主かもしれませんが、こと女性の着物や帯は、植物を抜きには語れません。こんなに植物と関わりの深い、そしてバラエティが豊富な衣服が、世界にあるのでしょうか?
 これほど自然が、四季が豊かな国は、世界の中では珍しい方に属します。これほどの豊かな自然を「着る」という行為に織り込んだ衣服も、珍しいと思います。美しい文様を発達させた文化は数多いと思うけど、日本の場合、「絵」だものね。贅沢なものです。(文様もあるけどね!)
 捨ててはならない日本文化の重要な特徴の一つは、この「季節」「自然」への深い愛着です。この部分は、世界に誇り、子孫に受け継ぐべきものではないでしょうか。そしてそこには「着物」が密接に関わっています。和服が単なる衣服でないと何度も強調するのには、こういうこともあるのです。
 着物のイメージの中に、「癒し」や「潤い」が含まれていることは多いですけれど、おそらく日本という国土、日本という伝統が持つ「花への愛好」が大いに関係しているのでしょうね。

 着物ライフをスタートした時点では、「花が好きになる」なんていう変化が起こるとは思いもかけませんでした。世の中にこんなに花が沢山あったことも、身近にあったことも、気づきませんでした。今は「次の季節の花」をいつも心待ちにしています♪
タグ:着物
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2007年02月07日

着物で「美しく変身」〜かづこ編

 着物遊びの楽しみをつらつらと語り続けてきましたが、やっぱ基本は着物で「美しく変身」できることに尽きるのではないでしょうか。男性ならカッコよく変身、かな。
 そんなことを再認識させられたのは、着物友・かづこさんからいただいたDM。四方山話の中で、ご自身の着物写真を添付してくれたのですが、あまりの美しさにアラマびっくり(@o@;
かづこさんカジュアル普段着物 かづこさん勝負着物 

 普段のかづこさんといえば、カジュアルなお着物中心で髪はおかっぱに垂らし、ジャンルで言えばキュート。お孫さんもいる人生の先輩でありながら、飾らない人当たりと天然(^^;なキャラについついタメなお付き合いをさせていただいてる、楽しい方ですが‥別人のようだ!
 最近mizuhoの普段着物ネタを見て「いいな〜」と思いつつ、こういう「勝負着物」の威力も改めて思い知る。
 上の右は「某国のレセプション」にて、写した場所からして、着物同様品格が漂っております。ちなみに左は私の開催したフリマ・オフ、池袋ルノアール付近であります(^^;
 横浜開港記念館にてかづこさん パーティーでかづこさん  
 こちらも美しいですね(/_;) こちらの左は「横浜開港記念館」にてお母様お譲りのアンティークでまるで「お嬢様」。右は「講演会」で。元写真には講演者と着物姿の奥様と一緒に映っていました。かづこさん自身が、講演者夫人の風格漂っております。
 これなら、「中高年のまじめな出会い〜30代から60代まで(仮称)」に応募したら人気殺到するに違いありません。
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<かづこさんのコメント>
我が夫も知らない私です。なぜなら、いつもは寝巻きだか服だか分からない様な格好してるんですよ。

着物で自宅から駅に行く間、近所の知り合いとすれ違っても、私を認識できないのです。まぁ仮面ライダーの\(d≡b)/ 変身!ってとこですかね。(古いかな・・)

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 私でも、認識できないかもです(汗)。愉快な文章と顔文字、貴婦人のような写真とはまったく違います(爆)。

 かづこさん、写真&ネタ提供快諾、ありがとうございました(^^)/~~~~
posted by eribow at 16:41| Comment(6) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月02日

『大奥』金魚着物で「意味を読み取る」

 映画『大奥』着物観察で、ちょっと面白い発見をしました(興奮気味)ので、語ってみます。

 主人公・絵島は、度々(たびたび)大きな金魚が描かれた上着(打ち掛けって奴でしょうか)を羽織っています。白地に大きな赤い金魚が泳ぎ、水色のラインが流水を表した、見方によってはポップな感じもする大胆な意匠です。贅を尽くし風雅を愛でる大奥暮らしですから、「着物は四季を表現する」もここ極まれりで、春には春の、秋には秋の草花がふんだんに表現されています。金魚も、「ああ、夏らしいわね」だったのですが‥。

 ある「暗喩」に気づいて、ゾッとしました。
 金魚は、「一見きらびやかで美しく、何不自由なく恵まれているようだけども、その本質は牢獄」という「大奥」を、この物語を象徴しているのではないか、と。

 この映画は、中国?南蛮?から献上された珍しい金魚が、江戸城へ運び込まれるシーンから始まっています。多くの供の者に恭(うやうや)しくかしずかれ、人々の好奇と羨望の眼差しにさらされながら、江戸市中をしずしずと、まあパレードですね、馬に引かれて進んでいくんですが、それは「江戸の町」「当時の風俗」を描き、後に主役となる新五郎をチラリと登場させる「前振り」なんだとばかり思っていました。
 わずか5歳の幼い将軍に献上された金魚は、政務を取り仕切る大広間の、幼帝のそばに、さしづめ「掛け軸」に該当するようなインテリアとして飾られます。将軍の前に重臣たちがずらりと居並ぶ政(まつりごと)のシーンは何度も出てきますから、その度に金魚は映ってます。

 季節感を表す衣服デザインとしての金魚‥将軍の権勢を示し、渡来物が珍重された江戸の風情を描く金魚‥どちらも小道具、飾りにすぎなかった2つが私の中ですっと結びついた瞬間、震えました。
 美しさ、権力、人々の崇敬、そんなもの全てが、一瞬にして「ただの牢獄」と反転する‥「金魚」は、それを観る者(=私)に気づかせる「鍵」だったのです。

 和服が洋服と大きく違う点の一つは、こうやって「意味」を織り込むのが、特別なことではなくむしろ普通、ということです。色や形の美を楽しむだけでなく、「すごくお洒落な人」や「特別な服」でなくとも、「意味を楽しむ」ことがごく一般的なのが和服です。一番分かりやすく日常的なのは「季節」を読み込むことですよね。あるいは、正月、雛祭り、月見など、「行事」にちなむケースも多い。その場の「テーマ」や、「自分自身の個性アピール」の小道具としてもよく使われます。
 洋服には、まずこういうことはありませんよね。せいぜい、タレントの顔がプリントされたTシャツ?花嫁が身につけると幸福になると言われている「something blue」?ほとんどが例外ですよね。気のおけない友人との付き合いや、ちょっと気合の入ったパーティーなどで、「着物に語らせる」のを楽しむことはよくありますが、洋服ではちょっと考えられないなー。
 「含意」「暗示」という、高度な精神的楽しみ。下々の人々に至るまで、そんなお遊びの精神が行き渡っていた着物文化、日本文化って、すごいと思いませんか?!(大声で)

 映画は、勿論かなり意図的、戦略的にやってるでしょうけど、そもそも洋服では不可能に近いです。着物にそれができるのは、着物が「絵」の性質を持っているからではないでしょうか。裾模様、お太鼓、羽裏、そして今回のように一番目立つ上着そのものにまで、布地の広い面積に「絵」が可能な和服。ひだやフリルなどに埋もれることなく、布が一枚のキャンバスになる平面の服。和服のその独自性に、もっと気づくべきです。
 まだそのような「絵」としての技術が発達していなかった頃から、平安貴族は「襲(かさね)」によって暗号を楽しみ、鎌倉武士たちは鎧や甲冑のデザインに家や武運を練りこんでいたのです。そもそも、日本文化の根底に、そういう素地があったのではないでしょうか。衣服でメッセージをやりとりする、という文化が。
 欧米でも、中世の宗教画には多くのサインが使われて、たとえばしゃれこうべは「死」を、林檎は「罪」を、といったような暗喩は普通だったようですが、専門家としての画家の専売特許ですよね。また、一意的なのでむしろ「象形文字」とか「手旗信号」とかに近い。「着物が絵」に含まれる、複雑さ、柔軟さには及びません。

 もう一つ気づいた暗喩は、新五郎が身につけている羽織の「ひょっとこ」。これはきっと「性」を表してますね。絵島を陥れようとする敵対派の一人が、ウッカリ新五郎に恋してしまうシーンで気づきました。
 でもこちらは「金魚」が高度な比喩なのに対して、ちょっとモロじゃないかなー(苦笑)。一瞬目を閉じて、じっと嫉妬の炎に耐える表情のシーンにひょっとこが重なるんですが、女心ってなんか違う気が(^^;
 まあ、もともと「おかめひょっとこ」って性的な意味合いが強いアイテムだったらしいし、祭りの喧騒のシーンで踊り狂うひょっとこの面がやたらと出てくるのも、恋の逃避行中の2人の象徴として悪くないとは思うんですけど。

 衣服としての美を楽しむ、ということに、メッセージ性を読み解く楽しみが重なる二重構造。このメッセージの快楽に気づいた瞬間‥その精神的な悦びにはほんとシビレます。一度この悦びを知ってしまうと、もう着物はやめられないですね。
posted by eribow at 11:07| Comment(9) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月31日

病みつき!風呂上り浴衣

 スーパー銭湯大好きな我が家です。今月正月は、なんかやたらと行ったなー(^^; そこでマイブームになってるのが、持参の浴衣です。

 大体は、昼着物→夜お風呂→浴衣のパターンで、肌襦袢も汗を吸って汚れていますので着用しません。ムネが気になる時は、さらしだけ巻きます。帯は軽くて柔らかい半幅を用意して、適当なリボン結びが多いです。紐と伊達締めは、昼に着物で着用していたものをそのまま流用。外へ出ると寒いので、羽織と足袋は建物を出る時に着用します。
 脱いだ着物、襦袢、帯、余った紐は、風呂敷包み。風呂敷は便利です♪脱衣所に畳スペースがある便利な施設ではそこを利用し、ない場合は適当にざっとまとめて出て畳敷きのお休み所で畳みます。もっと適当に空中で畳むこともあるけどさ(^^;

 最初は、日中ずっと着物だったからその気分の続きで‥くらいの動機で始めたのですが、回数こなすうちにあまりの気持ちよさに病みつきに(@_@; 今までも何度かやってますが、夏の外着にもする浴衣、やっぱり基本は湯上りなんだ、と再認識。
 館内、素足で歩くのも、より気持ちいい!!

 ネックは、車で来るのでないと、この手は無理ということ(^^; ま、スーパー銭湯自体、車指向な施設ではありますが。

 実は浴衣を寝巻きとして着るのは苦手な私。裾がはだけちゃうんだよね〜(寝相悪すぎ?) でもこのパターンだと、せっかく着替えたばかりなのに勿体無いという気持ちが働いて、そのまま休んだりしちゃった。そしたら、それはそれでまあいいような気がしてきた(笑)。これなら、家に帰ってまたパジャマに着替える手間もなくて、便利〜

 浴衣だったら、皆持っているし、家帰るだけだから着付けもぐずぐずでもいいし、「場」にも馴染むし、普段着物のトライアルにいいんじゃないでしょうか♪
posted by eribow at 12:30| Comment(4) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月05日

浮世絵の快楽

ukiyoeten.jpg ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 「江戸の誘惑」、見てきました。絵を見るのは割と好き。この頃またボチボチ見に行くようになりましたが‥。

 着物を着るようになって、浮世絵の見え方が全然違っていることを発見(@_@;

 昔も、日本画も楽しんで見ていましたが、やはり「意味」が分かると大違い。また、模様も、「知っている」ものは記憶に残るのね。
 着物を着て、「季節」が違って感じられるようになったけれども、絵画鑑賞もこんなにも変わるとは、ビックリです。

 ここのところ、「そうじ」にハマって、着物ブログが疎かに‥(苦笑)。情熱は消えてませんので、頑張って書きますので、忘れないでネ!(汗汗)

posted by eribow at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

着物買いの快楽

 着物にハマった理由の一つに、お買物の快感があったことを再発見しました。極端に走れば「買物症候群」にも通じる、危険な快楽です。
 ショッピングの女王・中村うさぎさんによると、「発作」が起こると、ドバァーっとアドレナリンが放出されるらしい(^^; そして理性を失い、気がついたら買っているというのです。
 衝動買いが続いたワタシ、その気持ちが分かるぞ(汗)

 もともと私は物欲も消費欲も乏しい方。モノを買ったり、収蔵したりすることにさしたる興味はなく、どちらかというと食べ物とか旅行とか「消え物」に費やす方が好き。それも、出費そのものを楽しむタイプではなく、出費はいつも苦痛(^^; 思うに、今までは「本当にほしい」モノって、あんまりなかったのよね。買物って面倒くさいだけ。
 それが、着物まわりのお買物を始めてから、買いたいもの一杯、アイデア一杯、夢一杯(笑)

 着物買いの快楽につかまってしまった人は古今東西後を絶たず、「収入の殆どを着物に費やしている」「家一軒建つほど着物を買ってしまった」「着物でこしらえた借金を返すために、山一つ売り払った」などという武勇伝(?)は枚挙に暇がありません。
 かつてはお金持ちの専売特許だったそんな着物買い、今では「月1万円以下」の予算で同じ病気に罹れます(笑)。ぱーっとお金を使うことで得られる興奮、満足感は、1,000円の柄足袋でも得られた!(@_@;
 ‥スケール違いすぎ?!(爆)

 また来月も身悶えしながら買物欲と戦い、「呼ばれてしまった」「出会ってしまった」時に堰を越える爆発的な快感を味わうことでしょう。1万円以内で!(おほほほほ)
 リサイクル着物万歳、格安呉服屋さんありがとう!
posted by eribow at 20:38| Comment(4) | TrackBack(1) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月20日

浴衣生活を始めたわけ

 家では浴衣ですごす、というのは、もともとカジュアル志向な私としては別になんの意外性もないネタだったので、eriの反応にこちらもびっくり。せっかくなので(?)、改めて「どうして」を書いてみようかな。

(1)着ると楽しい
 着るとなんだか無条件で嬉しい。好きなインテリアに囲まれた部屋にいるのが嬉しいとかいう感覚に似ているかも。好きなものを身に着ける快感?

(2)くつろぎ感
 eriへのコメントで皆さんが書いているように、外で着ていたものを脱いで浴衣ひっかけたときのくつろぎ感。やってみて初めて気がついたんだけど、仕事モードからプライベートモードへの切り替えが気持ちよくできる。結構クセになるかも。

(3)着慣れる練習
 実はこれも結構大きい。カジュアル着物こそ、着慣れてないとかっこ悪いので、回数こなさないとね。疲れててくつろぎ重視のときは帯も簡略化するけど、余裕があれば帯結び変えてみたり、たすきがけの練習もしてみたり。紐ひとつにしても、収まりのいい位置をさぐったりしつつ着ているので、やっぱり「たまに着る」と「毎日着る」の差は大きいような気がする。

 課題は猛暑に対応できるかどうかと、逆に浴衣では寒くなった後だな。ちょい厚手の木綿着物→ウール着物に移行したいと思ってるけど、どうなることやら。まあ、無理はせず適当に続けてみるね。
posted by mizuho at 22:14| Comment(6) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月29日

「着物遊び」とは?

 ブログのタイトルをつけるに当たって、あれこれ出た候補の中からピンときたのが「着物遊び」。mizが提案し、私的にもしっくり来たので決定したけど、改めて考えてみると「着物遊び」って何だろう?

 多分、私達が一番最初にイメージしてたのは、着物を着てお出かけだったんだと思う。着物を着ることでお出かけ自体が楽しくなる、お出かけすることによって着物を着てることが何倍も嬉しくなる、相乗効果のあるお出かけが、「着物でお出かけ」だ。
 例えば、和のスポット。浅草、鎌倉、京都などがメジャーどころ。江戸東京博物館のような和文化を知る施設、歌舞伎座のような和の文化を楽しむ施設だけでなく、着物が似合う風景がある場所なんかもいい。

 もう一つの含意は、着物のコーディネートを楽しむこと。これはお出かけが「レジャー」という括りなら、「ファッション」と分類できると思う。ファッションを楽しんだことのない人には分かりにくいかもしれないけれど、ファッションって生きることそのものの発露なのだと思う。
 美。創造。創意工夫。自己実現。ファッションには「生」が詰まっている。それは「見栄」や「カッコつけ」とは違う。もう、本能的な快楽と言っていい。その楽しみに出会ってしまうと、もう後へは引けない。

 そのうちに、着物から派生するいろんな楽しみも「着物遊び」の範疇に入ってきた。
 文学、美術、芸能など、和にまつわる多種多様な文化に傾倒するようになる。今までは単なる知識にすぎなかったものが、急に生き生きと立ち上がってくる。着物を通して、世界の新しい断面が現れる。
 自然への感性も変わる。着物が生まれ育った過去の世代の感性を楽しめるようになる。空気を、土を、水を、気温を、草花を、感じるようになる。これも着物ライフならではなのだ。

 それから、着物や着物まわりの制作活動も着物遊びに入ってくる。手芸や工作の楽しみである。mizが楽しんでいる小物作りだけではない、私がショボく健闘している半襟付けだって、立派な「着物遊び」である(笑)。
 「ものつくり」って、人間の根源的本能の一つだと思う。

 そして、お買物の楽しみ(笑)。なんでお買物って楽しいんでしょ♪♪♪

 ざっと思いついたのはこんなところかしら?直感的に決めたキーワードでしたが、これは私達の思い、楽しみ、メッセージを表す最適な単語でした。「遊び」という言葉に含まれる、楽しい感じ、自由な感じ、そして生きているっていう感じが、少しでも読んで下さっている方に伝わればいいなと思いながら書いています。
 どう?>miz

<mizuhoのコメント>
どう? とふられたので出てきてみたけど・・・私の方は「着物遊びの楽しみ」シリーズ(?)ですでに書いてるので、あまりここで付け足すこともないかな。「遊び」っていうのは、ほんとに遊びなんだよね。ある意味、コスプレなんだと思う。日本の伝統文化、って気負いもなく、「装道」的な教養としてでもなく。ラフに、楽しくやって行きたいです。ね。
posted by eribow at 23:56| Comment(5) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

着物遊びの楽しみ その10 誉める・誉められる

 着物を着ていると、よく誉められる。30代後半ともなると、他人から面と向かって誉められることってそんなにないよね? でも着物着ているだけで結構誉められる。自分の着物姿にまだ自信は持てないので(やっぱりまだ初心者だし)、かなり照れくさくはあるのだけど、誉められるのはやっぱり嬉しい。

 先日の観劇の前に子どもの習い事の迎えに行ったら、先生に「お母さん、かわいいっ!」と何度も誉められた。劇場で会った知り合いに「かっこいい」と誉められた。年賀状に着物姿の写真使ったら、やたらと各方面から誉められた。電車の中で初対面のおばあちゃんに「いいねえ」と言われたり、近所の人に「すてき」と声かけられたり。「自分で着られるの? すごい!」というリアクションも多い。これに関しては、極めていい加減に着ているので、ちょっと面映くはあるのだけど・・・
 また、他人の着物姿はつい誉めたくなる。これも不思議。他人の洋服についてコメントすることなんてめったにないんだけどね。うわーいいなあ、と素直に思って口に出してしまう。工夫ポイントが見えたりすると、もう誉めずにいられない。
 
 で、誉められるのも誉めるのも、すごくいい気分になることなんだなあ、って再発見したりする。これって着物遊びの楽しみのひとつだよね。着てみたいけど・・・と躊躇してるあなた、着ると楽しいよっ!
posted by mizuho at 21:03| Comment(10) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

増えるお着物仲間、広がる着物遊びの輪

 週一着物ライフを始めて1年、ブログを始めて半年以上が経ちました。着物を通じて新しい友達・仲間が増えた上に、今までの友達との関係が深まったり‥着物のお陰で友達の量と質の両方が充実したような気がします(^^)

 ネットで出会った、知らなかった着物仲間の世界としては、

・毎日着物実践派
 「着物が着られる」だけで喜んでいた私にとって、「着物で暮らす」人がこんなにも大勢いたということは驚きでした。日々の写真報告は、とても楽しく、励みになります。

・男性着物派
 着物は「女の園」という先入観を持っていたので(だって、呉服屋のお客はおばさんばっかりなんだもん)、正直男性着物派との出会いはカルチャーショックでした。驚きはすぐに有頂天に変わりました(爆)。

・子持ち着物派
 主にきくちいまさんの掲示板にいらしている方々ですが、妊婦、授乳婦、幼児持ちの女性が、着物ライフを楽しんでいることも、やはり驚きとともに嬉しくなりました。そうよ、何だってできるのよね!

 高校の友達、大学の友人、保育園ママ仲間、そして義妹も?!‥着物に興味を持ってくれたり、着物ライフに接近してくれた人がチラホラでてきてくれたのが、すっごく嬉しい!
 この場を借りて、お礼を申し上げたいです。読んで下さって、ウケて下さって(爆)、ありがとう!!!
posted by eribow at 22:41| Comment(6) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月26日

着物コーデはゲーム感覚

 着物コーデ遊びの面白さは泥沼です。着物は、女性がオタク化しやすい、最もハマりやすいアイテムの1つですが、「ファッション」や「消費」には縁の薄かった私が、まさかハマるとは思ってもいませんでした(感慨)。

 自らに課すハードル。それを越えた喜び。新たなレベルへの挑戦。一面をクリアすれば次のステージが待っている、これはまさにゲームです。
 昔の「いいおうち」の人たちは、これを人と競っていたんでしょうね。足を引っ張ったり、陰で馬鹿にしたり、金にあかせたり、陰湿極まりない。今でもやんごとない関係者(?)の間ではそういう風潮は残ってるのかもしれませんが(苦笑)。私はネアカな現代人(笑)ですので、「最低限のたしなみ」だった社会ならともかく、人と比べてどうということはない。完全に「自分との戦い」です(鼻息)。
 囲碁やチェスのような、ボードゲームにも似ている。「ホホウ、そう来ましたか‥ではこれでどうだっ?!」と、一手一手悩みながら複雑な要素を読み、指していく。その「敵」は「TPO」や「組み合わせ」。解答は決して1つではない。でもまったくランダムでもなく、限りなくベストを目指していく。

 そのためには、沢山の持ちアイテムが必要なのですよ。ローンを組んで「本当にいい一生モノをたった1枚」持っているだけでは、この快楽は追求できない。
 そこでまた、沢山のお金を使えるわけではないという厳しい状況が、ゲームの面白さを加速する。課題が難しければ難しいほど燃えるのが、ゲームの常ではないだろうか?!だから、私は金にあかせてお洒落することを一段低く見ているのだ。お洒落は金でなんとでもなるものではなく、技術と心意気で勝負するモンだと思っている。あ、男女関係も同じ?(謎笑)
 というわけで、お値段なりの新品ではなく、実際の価値の10分の1の値段のリサイクル品に行くのは、クオリティ追求の上で必然なわけです。

 私の性格はまったく「負けず嫌い」ではない。どちらかというと人と争うのは嫌いな、好戦的ではないタイプ。しかし、着物に対するこの攻撃的な感情はどうよ?(爆)
 着物コーデを考えるときは、一回一回が勝負。燃えるわ〜!!!(鼻血)
posted by eribow at 19:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月25日

着物のTPOは難しくない

 着物ライフへの「壁」の1つである「どんな時に何を着ればいいか」という着物のルール。一通り理論(本)と実践(呉服屋めぐり)をしてみて、着物のTPOって意外に簡単ということを発見しました。
 「着物のTPOを考える」ということは「難しそう」「面倒くさい」どころか、「着物遊び」の中でも最上級の、シビれるような快楽なのだ、ということも分かってきました。

 洋服のお洒落と一番違うと感じたのは、和服は「格」という要素が重要であるということです。これはセンスのいい悪いとは関係がない。高価か安価かという値段の問題でもない。明るい暗いでも、地味派手でも、似合う似合わないでもない。この「格」を理解するかどうかがポイントだと思います。別の言葉では、「重い軽い」ということです。秤で量る重さのことじゃないよ(笑)。

 第一に、柄付けや生地で決まる、着物や帯の種類による格。これはほんの数ランクしかありません。これは入門的な本には必ず書いてあるし、いろいろなサイトでも載っているので、省略。
 第二が、同じランクの中で、デザインによりどう「格」「重さ」が決まるかのルール。私なりに気づいた点をちょっとまとめてみます(一部礼服については除く)。

重い金糸銀糸入り淡い色コントラスト弱い抽象柄細かい柄
軽い金糸銀糸なし濃い色コントラスト強い具象柄粗い柄
  
 
 洋服の常識にはないような基準ですよね〜(感慨)。でも単純ですよね?!どんな初心者でも、いったん知れば判断は簡単です。
 黒田清子さん(紀宮様)の婚礼衣装が最も格上のコーディネートであることが判ると思います。美智子皇后についても同様です。逆に、私が「お洒落だ〜」と感動した、「きもの日和」参加者の皆さんの装いは、この基準で言うと、格下路線を極めていることが判ります。
 格上・格下と言うと優劣のようですが、実際は「不自由な気品」「自由な庶民性」という軸だと考えればいいのではないかなー?「上品」と「個性」の対立軸。どちらを好むかは、好みの問題で、優劣ではないです。

 限られたTPOで着物を着るならば、「格」を考える必要はない。同じような着物を選べばいいのだから。家(か気のおけない間柄)で着るだけとか、お茶(などの習い事)で着るだけとか。ところが、私のように、いろいろな時(time)いろいろな場所(place)いろいろな状況(occasion)で着ようとなると、この「セオリー」が役に立つ。
 セオリーは、チョー単純。でも、TPOを判断するのが、極めてデリケートで楽しいのですよ!(力説)
 友達とお出かけでも、年上なのか同い年なのか?行き先は華やかなのか渋いのか?などで「格」は変わってきます。相手を立てて控えめにするのか?うんと遊び心を追求するのか?ポップで楽しくするのか、シックで落ち着いた感じにするのか?そこは「格上〜格下」の目盛りの好きな部分を選択できるのです。その「配分」に、お洒落のキモがあり、無限の楽しみがあるんだな〜(鼻息)。
 そして、違うTPOで違う着物を着ることによって、全く違う自分を演じることができる。清楚な奥様から、いなせな町娘までね(笑)。ファッションの楽しみの重要な一つ「変身願望」をこれほど明確に満たすものはないです。これは、ハマりますよ!
posted by eribow at 23:52| Comment(2) | TrackBack(1) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

着物遊びの楽しみ その9 着物が出会いを呼ぶ

集合写真これは日曜のオフ会の集合写真。振振毬杖さんもFujipiさんも、着物着てなければきっと一生縁のなかった方々だ。それが日曜に集まってランチしたりお店巡りしたり、はたからみたら本日初対面には絶対見えないだろうなという盛り上がり。着物パワーはすごいのだ。

ブログのオフに限らず、着物が呼ぶ出会いって結構多い。今まで単なる顔見知りだった人と、お互い着物好きとわかって一気に友人になったりもする。まあ、趣味のものっていったいにそうだけど、着物の場合は「一緒に出かける」という楽しみもある。一人で着るより仲間が多いと一気に盛り上がるのが着物。だからオフ会向きなんだよね。

複数で着物着て歩いていると、よく外国人に声をかけられるのも面白い(ナンパではなく、写真撮らせてくれ、というやつ)。それにしても斬新な「薔薇コーディネート」の振振毬杖さん、原宿でもてもてでした。かっこいいっ!
posted by mizuho at 23:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月27日

着物遊びの楽しみ その8 小物買いの愉楽

akinokomono.jpg本日ゲットした小物たち
 私は着物そのものは基本的に買わないのだけど、着物を着るようになって買い物の楽しみが増えた。それは、今まで全然必要じゃなかった「ちょっとしたかわいいもの」を買う楽しみだ。

アクセサリー類は苦手であまりつけないし、部屋を飾る趣味もないしであまり「小物」を買うことってなかったのだけど、着物を着るようになると俄然「小物」が欲しくなる。帯留め、帯締め、帯揚げ、半襟、手ぬぐい、根付け、匂い袋、風呂敷、扇子などなど。価格も安くて場所をとらない小物達は気軽に買えるし、小さい癖に着物の演出力は高いときていて、ほんとに選ぶのが楽しい。何かのついでにちょっといいものを見つけたりすると、一日ご機嫌。

しかも、「この箸置き、帯留めにできる!」「このリボン、帯締めにしちゃおう」「この手ぬぐい、半襟でいい感じ」なんて、本来その用途じゃないものでも結構活用できちゃったりするのがまたポイント高い。アレンジを思いつくのが嬉しいんだよね。毎日の小さな発見が幸せにつながる感じ。この楽しさは他ではあまりない味わえないものじゃないかな、と思う。

<eribowのコメント>
「お買い物」って、楽しみの一つだよね〜。沢山の種類。目移り。衝動買い。そういうことが楽しめるのが「和」服の楽しみだったとは!小物、多いもんね〜。
ローン組んで「一生モノを、慎重に、人に勧められて」買うのと正反対だ!
posted by mizuho at 21:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月22日

着物遊びの楽しみ その7 着物と共に物語を受け継ぐ

着物を着るようになってよかったことのひとつに、母と着物話で盛り上がれるようになった、というのがある。母自身はすでに着物着る気がないのだけど、着物自体は好きで、さすがに呉服屋の娘だけあっていろいろ知っている。長年つき合ってきた親でも、知らない一面というのはあるものだなあ、と感動。

着物をもらうついでに、いろんな話が出る。着物にまつわる様々なエピソードは、着物がなければ聞けなかった物語。一生知らずにいた可能性が高かったと思うと、着物に目覚めてほんとによかったと思う。
母以外の親戚からも着物をもらうようになり、着物と一緒にエピソードもついてくるので、なんだか心理的な距離が縮まった。遠くに住んでいる人が多いので、冠婚葬祭の時に会うだけの存在だったんだけど。

着物って、親子や兄弟や親戚の間で譲ったり譲られたり、というのが似合う。というか、日本人はずっとそうしてきたのだと思う。着物は一人で着て終わりなものではないのだ。一枚の布を大切に大切に受け継いでいく、そしてそこには物語がくっついていく。なくしてしまうのはもったいない日本文化、といったら大げさだろうか。

eriは着ないのにしまっておかれる着物がもったいない、もっと流通させたい、という。それはその通りなのだけど、着物って簡単には手放せない面があるのだ。それはやっぱり、物語がくっついているせいだと思う。結婚するときに親が思いを込めて仕立てた、とかね。身内に譲るのは抵抗なくても、誰のものになるかわからない、リサイクル屋に売るのは抵抗があるんじゃないだろうか。だから逆に親戚や知り合いからもらえる、ということにもなるんだけどね。

十代の頃だったら、こんな「物語」なんて、うっとおしいとしか思えなかったと思う。物語を受け継ぐことが楽しいと思えるようになったというのは、やっぱり年とったということなのかな。
posted by mizuho at 21:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月16日

着物遊びの楽しみ その6 手作りにわくわく

宇野千代のエッセイに「お洒落は金をかけるのではなく、手をかけ、心をかけることです」とあった。いい言葉だなあ。

お金かけない着物遊びには手作りがつきもの。買うと数千円するものでも、つくれば数百円、というものは多い。そりゃ作れば安いよ、と思うかも知れないけど、実は洋服に関しては、手作りは決して安くつかなくなっている(洋裁も好きなので実感)。でも着物に関しては、手作りは圧倒的に安くつく。作る楽しみそのものに加え、お得感まで楽しめるのだ。

最初に手を出したのは半襟。縮緬の端切れを買ってきてつないでつくった。あと、綿の和柄プリントでも。これは切っただけという話もある。要するにただの細長い布なので、手ぬぐいは折っただけで半襟になる。簡単で楽しい。

そして帯留め。金具がなかなか手に入らず(ネットでは買えるんだけど、単価が安いのに送料が高くて買う気せず)、eriにまとめ買いしたのを分けて貰った。これも接着剤で貼るだけ。簡単(eriはとれたと行ってたけど、大丈夫だよ? 強力接着剤使った?)。

あとは娘達の髪飾りとか、長襦袢の袖が合わないのでうそつき袖とか、ちまちま楽しんでいる。で、今つくりたいのは実は帯。まずはこの前もらってきた帯地を半幅にしてしまおうと思っている。あとは、夫にバリ土産にもらってずっと眠っている布達(バティック?)。いろんな布を継ぎ合わせたやつもつくってみたい。ビーズや縮緬で簪もつくってみたいなあ。考えるだけでわくわく。
posted by mizuho at 23:55| Comment(5) | TrackBack(1) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

着物遊びの楽しみ その5 コーディネートは塗り絵感覚

思いつきで「楽しみ」シリーズを書き始めたのでちょっと後悔。最初に項目を整理してから書き始めるんだった・・・もうちょっときれいに分類できそうなものだ。でもまあいっか。10回シリーズになるか15回シリーズになるか本人にもよくわかってない(今のところ10まではネタがあるけど・・・)。

さて、今回はコーディネートの話。着物を着たことない人(以前の私)にとっては大変そうに思えたりするけど、実は着物のコーディネートは洋服よりとっつきやすい。なんたって、形とパーツが決まっている。考えるのは素材と色だけでいいのだ。洋服だと、「形」が無限に近くあるので、まずそこから悩まなければならないけど、着物にはそれがない。

まず、本日のメインを決める。着物をまず選ぶこともあれば、帯からいくこともあるけど、まあどっちかだ。着物と帯が決まったら、半襟・足袋・履き物・帯揚げ(私はあまり使わない)・帯締めを決める。白半襟・白足袋の人なら帯揚げと帯締めのバランスだけだ。初心者でも問題ないと思う。洋服のコーディネートがパズルだとすれば、着物は「塗り絵」なのだ。

塗り絵の楽しさ。それは純粋に色と画材(素材)で遊べるということだ。私のようにセンスに恵まれていない人間は、選ぶ物が限定されていると、かえって想像力が広がる。また、これは結構重要なのだが、他人のコーディネートがそっくり参考になる! 洋服の場合、他人を見ていくら素敵だなあと思っても体型が違えば全く似合わないのが常だ。お店のディスプレイ通りに着てもマネキンが着ているようにはならないもんね。でも、着物は大丈夫。似合う似合わないは、ほとんど色だけといっていい。だからこそ、着物を選ぶのは楽しいのだ。試着したらウエストが入らない〜なんてこともない(笑)。色合わせの楽しみに没頭できる。

また、形が決まっている、ということは実は崩して遊べる、ということなのだ。基本形、無難な定番の取り合わせから、いかに自分流に崩していくか、という楽しみ。だからこそ、着物コーディネートは奥が深い。とっつきやすくて奥が深い。これって誰でも楽しめるポイントじゃないかな? あと、重要なのは小物系の楽しみだけど、これはまた改めて。

<eribowのコメント>
 お〜い、10回?15回?! 聞いてないよー(焦) 5,6回かと思っててそろそろまとめレスかなと思ってたのに(笑) 4回分をそれなりに分析して方向も見えてきたのに(爆) じゃあちょこまかレスしちゃおう。

 mizと私の共通点の一つは、(洋服の)ファッションが苦手だったってこと。その二人がトチ狂ったように(失礼>miz)「お洒落」にはまったのが、とても不思議な気がしてたのだが、ちょっと納得。
 カタチとイロを同時進行で考えなくていい、って楽だ。それにカタチを選ぶより、イロを選ぶほうが、断然楽しいぞ(笑)。
posted by mizuho at 22:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月13日

着物遊びの楽しみ その4 読書の楽しみが深まる

着物遊びしてなければこんなに面白がれなかっただろうな〜と思う小説がいくつかある。代表は幸田文の「きもの」。幸田文のエッセイはいくつか読んでいたけど、小説に手を出したのは着物に興味を持ってからのことだ。これがすごく面白い。まさに庶民の着物の話がてんこ盛り。大正期だからそんなに昔の話でもないのに、今の感覚とあまりに違う世界に驚かされる。どうしてこういう感覚が受け継がれていないのか、残念な気もする。

これがきっかけで幸田文のファンになった。娘の青木玉さんの書いた「幸田文 箪笥の引き出し」もとても素敵なエッセイだ。着物に関するエッセイは味わい深いものがたくさんあって、着物のおかげで読書の楽しみが深まった感じがする。

高校時代、古典にはまって「源氏物語」やら「枕草子」やら、有名どころは全部原文読破したのだけど(古文って不思議なもので、最初は現代語訳と併行読みしてるのだけど、そのうち原文で読めるようになってくる。英語ではこうはいかない)、今読めばもっと面白いだろうなあという予感がする。明治あたりの日本文学も今までとは違う読み方ができそうだ。着物文学(?)の定番「細雪」も昔斜め読みしただけだし、ちゃんと読んでみようかな。
posted by mizuho at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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