2007年05月22日

着物イベント「花おとめ」戦利品

 日曜に行った着物イベント「花おとめ」で、やっぱりお買い物しちゃいました(^^;
 だって‥木綿着物があったんですもの!!!

hanaotome 024.jpg 入手経路:イベント
 値段:800円

 「花おとめ」の着物出品は、アンティーク率がとても高かった。銘仙の独特なあでやかな色彩に、頭クラクラ目はハート♪思わず20枚ぐらい買いたいくらい。その衝動をジッと抑えて品定めオンリーに徹していたのですが、この木綿単衣を発見。値段を聞いて即、「買います!!!」。
 まず、木綿っていうだけで品薄じゃないですか。あれば、必ず目は通します。昨年1枚自作してみて、浴衣ちっくな着心地と洗える気安さにすっかり開眼。今買えばこれから着られます。また自作にトライしようかな〜と思っていた矢先、これは反物代より安いじゃないですか!!

 後先考えず買ってしまったので(^^; こうやって吊るして改めて見ると短いです(汗)。それに袖も長いねえ。古いものなんでしょうね。袖は切ってもいいし、対丈っぽく着ても似合いそうだから、よしとしましょう。
hanaotome 026.jpg  この大胆な色彩感覚は、日本人の美意識の高さを改めて感じさせます(感心)。でもこの色柄は、実は私にどんぴしゃ似合うというわけではない気がします。もっと似合う人はいそうだ。でもまあ、気軽に、ほんとーに普段着に着るには相応しいデザインでしょう。私の明るいキャラに合わせて、ポップに元気に着こなしてみたいです。
 これに合う赤い半幅帯700円をチェックしたのですが、ちょっと迷って手を離した隙に、他のお客さんの手に。ウワー、やっぱりほしい(><; と横目でチラチラ狙ってたんですが、結局お持ち帰りされてしまいました(T-T)無念

hanaotome 027.jpg 入手経路:イベント
 値段:1,200円

 麻の足袋です(鼻息)。麻って履き心地はどうなんでしょう?(興味津々)この値段だし、お試しで買ってみました。
 午後に出向いたので、柄足袋はだいぶ売れて合うサイズがなくなってしまっていました。もう買うまいと思っていたのに、つい買いたくなる胸キュンな柄が揃っていて、早く来ていれば‥とちょっぴり後悔。値段は980円と1,200円の2段階。いずれにしても申し分なく安かったです。
 
hanaotome 029.jpg 入手経路:イベント
 値段:300円

 そして‥こんなものも買ってしまいましたぁ(>▽<; 掌に乗るくらいの可愛らしい手作りダルマさん。起き上がりこぼしなんです。
 いろんなこと諦めたり叶わなかったりの繰り返しの私、めげることも多い日々を送っています。そんな自分を心の中で励まして「起き上がりこぼしのように、転んでも転んでもしつこく起き上がろう、死ぬ時にどんな位置にいたとしても、いつも上を向いてだけはいることにしよう」と決めているんです。そんな気持ちにぴったりフィットの子♪
 笑顔や泣き顔のバージョンもあったんですけど、苦しくてもがいている時にあんまりニッカリした表情は胸に響かないし、元気出したいのに泣き顔でも‥ねえ(笑)。というわけで、「平常心」の表情を選んでみました。大事なマスコット(=お守り)にしようと思います。

hanaotome 028.jpg 入手経路:イベント
 値段:0円

 「花おとめ」イベントの、オリジナル手拭いです。先着150名様に入ることができました。ラッキー♪
 同じ着物イベントでも、「花おとめ」さん達は、そこここにアートを感じさせる企画でした(感心)。

 着物と足袋と小物と手拭いで計2,300円。入場料をカウントしても2,800円。半幅帯買ってたとしても3,500円。「何も買わない」はずの私でも、この合計額、このコストパなら許容範囲?(><;
 でも、木綿着物ゲットできたから、ま、いっかーー!!!(←買い物しちゃった後のキメ台詞はいつも同じ)

※先週の大人気「着物で立ち飲み」ネタに「とんちゃん」の写真を追加しました。興味のある方はチェックしてみて下さい(笑)。
ラベル:着物 足袋 手拭い
posted by eribow at 13:47| Comment(10) | TrackBack(0) | eribowの箪笥 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月21日

こまばさんとバッタリ会いました!

 白山で行われた着物イベント「花おとめ」、行ってまいりました。イベントのご報告はまた後でということにして‥なんと、「東京毎日きもの」のこまばさんに偶然お会いしました(@o@; しかも、イベント会場ではなくて、帰りがけの地下鉄白山駅の階段の途中で!

 着物姿の女性に「eribowさんですか?」と声をかけられるも、ブログを読んで下さっている方であることはちらほらあるので、さほど驚きません。が、ブログつながりの方であったとはビックリ!
 恐る恐るお時間あるかお聞きして、お茶をお誘いしてしまいました。快諾下さったので、さっそく駅傍のカフェ風?のお店へGO!

komabaeribow.JPG ほんとに偶然なのですが、2人ともアンティーク風で、まるで打ち合わせでもしたかのような取り合わせ(笑)。

hanaotome 020.jpg こまばさんは、白と青の爽やかな色の組み合わせの銘仙?に、薄い水色の染め帯のコーディネートが素敵〜!!!とっても「可愛らしい」方で、ご本人ともばっちり似合ってます。半襟はキュートな水玉♪写ってませんが鼻緒のツボが赤いカジュアル下駄も素敵でした♪

hanaotome 011.jpg 私のコーデも発表します♪

着物 :6枚1,000円(世田谷ボロ市)
帯  :1,000円(フリマ)
帯揚げ:3,000円(染め体験)
帯締め:1,000円(きもの日和)
白半襟:0円(実家から)
柄足袋:1,980円(呉服屋)
下駄 :840円(リサイクル屋)
髪飾り:100円(100均)

 トータル1万円以内ですねV(-_-) 最近は桜染め体験での自作品が、コーディネート内で一番高額、というパターン多し(笑)。着物より帯より帯揚げが高価って‥(-_-;
 銘仙だと思って購入した着物は、後になって「お召し?」と思われ。最高気温25度の予報に、迷わず単衣です。正解でした。

 お声かけていただいただけでめちゃめちゃ嬉しかったのに、その後のお喋りの楽しかったこと!とても初対面とは思えませんでした。2時間はあっという間です。
hanaotome 023.jpg お声かけて下さらなかったら、一人さみしく帰路に着いていたところ。昼暑かったので喉渇いて、自販機でペットボトルのお茶でも買おうか、駅の売店で缶チューハイにしようか、と考えてたところ。しかもブログつながりの方って「いつかお会いしたいな〜」とは漠然と思ってるわけで、もう何重の意味でも嬉しかったです。いやあ、ビールの美味しかったこと♪
 出会いのいっぱいあった1日ですが、最後にまるでラッキーの駄目押し(笑)。ほんと、数分ズレていたら、出会ってませんでした。こんな「信じられないような幸運」ってあるんですね〜(しみじみ)。

 楽しい一時をありがとうございました。これからは直のおつきあいもどうぞよろしく!>こまばさん
posted by eribow at 00:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 着物でお出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月20日

着物の変遷考

 ただ「きれいだから」「素敵だから」着たいと思い、ただ着るだけで嬉しかった当初からだんだん変化して、いやでも耳に入ってくるいろんな「声」から「着物/和服って何?」と考えてしまう日々が続いています。
 その声の一つは、着物を愛好する側からの「このような着姿が美しい」という主張。もう一つは、着物を着ない側からの「着物着るなんて酔狂だね」という風当たり。「和服はきちんとor正しくor美しく着なきゃ」にせよ、「現代人なんだから洋服着なきゃ」にせよ、私のテキトウ着物スタイルとひっかかることもしばしばです。mizuhoをはじめ「幼稚園や学校での着物」という話題にあるように、お仲間の皆さんの体験も共通するものが多いようですね。
 で、理屈屋のeribow(^^; としましては、須(すべか)らく衣服というものは変遷していくものであって、「正解」はない、ということを裏付けるべく、「着物の歴史」に興味が強くなりました。現代の和服のほぼ原型と思しき江戸時代の和服を浮世絵で観察し、現代の「正統派」着物が成立した明治〜敗戦後までの流れを分析し、そもそものルーツとしての「呉服」の受容について興味をわかせる‥といった按配です。

 その一環で、とある本の中で、「おはしょりというのは、屋内で“おひきずり”で暮らしていた女性が、外出する際にたくし上げたのが由来で、そもそもは屋内でおはしょりはおかしい」という歴史的指摘を読み、服飾研究家・高田倭男(たかたしずお)氏を知るところとなりました。

服装の歴史 『服装の歴史』、中央公論新書、1,200円(税込)。

 そうだよ、行き当たりばったりで着物のことを考察するんじゃなくて、こうなったらいっそ「服飾研究」にまで走るのが本当だよ!服飾の「比較文化論」もおもしろいじゃん?
 と、思ったのだが‥「服装に正解はない」ということを主張するために、古代装束や世界の民族衣装にまで視野を広げるのも、カッタルく感じられてきました(^^; 何というか、最近この話題を連打して、自分でも飽きてきたというか、食傷気味‥(-_-;
 こんな本に出会ったお陰で、「そこまでやっても?」と逆に一気に歴史研究熱減退。

 ま、「過去」や「異文化」を知ることは、「今、自分に見えている範囲」で服装というものを判断する、ごく一般的な、大多数の(健全な)思考回路に対して、理論武装にはなるでしょうが、そもそも衣服は直感的なアイテムです、どんな理論を目にし耳にしたって「美しく見える」「変に見える」という感覚はさほど動かされないのではないかと思われ。歴史や異文化を視野に入れるのは、あくまでも自己満足の世界ですよねえ(遠い目)。
 これからも「歴史分析」欲は続くでしょうけれど、その事実を知らない人に対して「へぇ〜ボタン」を押してもらうのがせいぜいで、自分の着たいスタイルが好意的に受け入れられるかどうかとは、あまり関係ないことなのだ、という気がしています。

 現在の心境は、「僕の前に道はない、僕の後ろに道はある(by 高村光太郎)」ですね(-_☆
ラベル:着物 歴史
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2007年05月18日

『日本和装の挑戦』出版される

 私が着物を着られるようになるまでお世話になった無料教室の、そして各地で悪名高い(^^;、日本和装の社長の本が出たそうです。

nihonwasounochousen.jpg 『日本和装の挑戦』、IN通信社、1,800円(税別)。発売は今年2月27日です。“革命児・吉田重久が「着物業界の常識」を超える!”との副題がついています。
 著者は社長本人ではなく、評論家でラジオのパーソナリティの鶴蒔靖夫氏がインタビュー、取材を通してまとめたもの。社長が著者の番組に出演したのがそもそものきっかけだそう。成功した社長にありがちな「俺が俺が」本でないあたりが、何かと風当たりの強いかの社ならではかもしれません。

 日本和装無料着付け教室の修了生には、季刊誌「KOSODE」が送られてきます。その最新号の中で紹介されていたのでさっそくこちらで取り上げてみただけで、中身は読んでいません。アマゾンでちょっと読めましたが、社長の信望者がよさを強調して書いている風が読み取れました。
 「KOSODE」では、かの社長が、いかような考えで、いかにして日本和装を経営し、育ててきたかを語るコラムが連載されていましたので、例えば洋服業界から転進してきたことなど知っていることもありました。それを、改めて他人の口から、さまざまな取材資料で厚みを加えて出したもの、とお察しいたします。

 私にとって日本和装は「恩人」であり、また社長の理念、「着物という素晴らしい文化を絶滅させてはならない」という思い、「かつて母から娘へ伝えられた着付けは、無料でなければならない」という思想は全く同じ。本当ならば、(この本の著者のように?)諸手を挙げて賞賛したいところです。
 しかし、そうはできないほど、あまりにも胸痛む話を耳にしすぎました。また、私自身は「実害」はなかったものの、「皆が何のことを悪く言っているか」が理解できる程度の体験はしているのです。恩義を感じている私は、「苦言を呈するのも応援のうち」とばかり、カスタマーセンターへ、何度も何度も「建設的な苦情メール」を出し、何度かは直接電話でのやりとりもしました。それで何かが改善されたのかどうかは、分かりません。
 上場という華々しい成果の影には、膨大な怨嗟の声があることを、おそらくこの本には書いてありません(^^; 好意的に解釈したい私としては、無から始めた弱小企業が短期間で成長する影には、どうしてもひずみは生じてしまうものだ、規模が大きくなって体制が整った暁には「きれいごと」が初めて本当に実態に合ってくるものだ‥と信じたいものです。

 で、買って読むかというと、買いません(^^; 当該「KOSODE」の読者プレゼントに、この本も含まれているので応募してみます(爆)。袋帯や夏物バッグは、どうせ競争率高いだろうしね〜
ラベル:日本和装
posted by eribow at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | おすすめの本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月17日

着物に恋(3)

 「週一着物」を決意したのは2005年3月のこと。それから2回目の春が巡り、私の着物ライフは3年目に入りました。
 着物LOVEの感情があまりにも恋愛に酷似しているので、「着物に恋」「着物に恋(2)」という記事で熱く(笑)語ったのはもう昨年の夏のこと。熱は冷めてませんよ、ゑゝ!(-_☆
 恋というのは、考えると頭がカァーっと熱くなって、胸がきゅっと締めつけられる。カァー&キュッ、今でもですよ(驚)。重症ですね。
 恋愛っていいよね〜何と言うか、生命のエネルギーの迸(ほとばし)り。理屈抜きの情熱。しかもそれが儚く消える「勘違い」などではなくずーっと長く続く。体質の違う人にはなかなか分かってもらえないかもしれませんが、ウム、いいもんです。
 もし私が着物に情熱的すぎてちょっとヘン、と見えるとしたら、むべなるかな、「恋の病」だからであります。

 今までもいろんな趣味を遍歴してきて、それなりにいつも熱くハマるんですが、ここまで恋愛チックなものはあまりない。
 強いて言えば「沖縄」がそうだったかな〜。あれも、胸がときめいて、熱くなって、心の芯が切なくなる。ながーくおもーくなったのも同じ。ま、着物も沖縄も「着物熱」「沖縄病」という言葉が割に普通に用いられることからも、私でなくとも一般的に「病」化、「重症」化しやすいジャンルではあるようです。
 でも、沖縄は「抜け」ました。着物のせいで(爆)。いや、いまでも勿論大好きですよ、飽きたわけではありません。でもかつてのような「毎日頭一杯」のような現象は、すっかり着物に道を譲りました。

 最近の私が「語り」に走りがちなのも、かつては「会うだけで幸せ♪」と単純だったのが、「私の愛したこのヒトの素晴らしさを皆に認めてもらいたい」に進んできたからとも思われ。売れないミュージシャンや大発見目前の科学者のように、私はその価値を絶大に認めているのに世間からは省みられない、という状況があって、それに憤慨している、という感じかな。気分は糟糠の妻です(鼻息)。

 「惚れてる」割には、毎日着ようとは思わないんだけどねA(^^; へへへ
ラベル:着物
posted by eribow at 23:22| Comment(9) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月15日

着物で立ち呑み屋へは行けません?!

 「着物ではできないことネタ」第二弾です。今回は、表題の通り、昨今大流行(はやり)の立ち飲み屋を取り上げてみたいと思います。
 前回は、アスレチック、バイオリン演奏を取り上げて、主に「運動性能」の点から、和服=長着スタイルへと矮小化してしまったゆえの困難に視点を置いていました。話が、フラメンコ、運動会、お砂場遊び、木登りと順調に展開しましたのは、皆様からの豊富な情報提供によるものです。ありがとうございます♪

 さて、「激安着物生活」でお馴染みの畏友・天和斎(てんほうさい)さんが我が家にお越し下さった昨日のこと。うちで軽く夕飯食べて、帰りに駅まで送りがてら、駅前の立ち呑み「とんちゃん」に寄ってみようかと思いつく。いつの時間帯でもお客さんで賑わっていて、たいそう繁盛していますが、どーも女性一人では入りづらくて、また近所のママ友を誘うような理由もなくて、未踏だったのです。酒飲みの天和斎さんなら、つきあってくれるに違いない!(希望)
 が、天和斎さんは和服。しかも、上品な海老茶の江戸小紋に、紅型風の名古屋帯。「この着物で立ち飲み屋はちょっと無理だよねえ」と私が言うと、「ええー、私は人にどう見られるとか全然気にしないよ、平気だよ」とのたまう。「うーん、私だったらちょっと無理だな。」と弱腰になりつつも、どうせ途中なので、店の前を通ってみることにする。

とんちゃん 遠くからもよく見えるデカい赤提灯。カウンターだけの店内は、暖簾を跳ね上げてあるので、丸見えです。店の外にも箱を積み重ねて板を乗せただけのショボい簡素なテーブルが2,3卓用意されていて、外の席までお客さんでいっぱい。お客は仕事帰りのサラリーマン、作業着のあんちゃん、競馬場帰り風のおっさんなど、男くささ満点です。焼きものと煙草で、もうもうと煙が立ち昇っています。おまけに駅前ロータリーに面して人通り繁(しげ)く、お客はほぼ「見世物」状態です。
 実は、オープンな店構えと明るい雰囲気からか、普段はけっこう女性客もいるんです。ギャル風のおねーちゃんやら、地元密着型ジャージのオバさんなど。しかし、昨日は見事なまでに男性ばっかりだった。
 「ねっ、着物だと入りづらいでしょう?」と店の前で立ち止まって、覗き込んで女性客を探す私。天和斎さんは「うっ」と絶句し「これは私でも無理だわ〜」と弱音を吐いた。「やっぱりね」と納得する反面、「なーんだ」とちょっとがっかり(笑)。飲みたい気分はあったので、「いいじゃんいいじゃん、入ろう、飲んでいこう♪」と言ってくれたら、それはそれで嬉しかったんだけどな〜。

 さて、このエピソードが指し示す「着物でできないこと」、それは着物の持つ「上品」「優雅」「女らしさ」に起因すると思われ。
 男性なら、よかったかもしれない。どカジュアルな木綿やウールの着物だったらよかったかもしれない。しかし、はんなり小紋に、赤い帯は、ウツクシすぎた(^^; (ポリだったのか〜そうは見えなかったぞ!)皆さんに「雛人形のよう」と賞賛された白く艶のある肌と、おちょぼ口風に引き締められた口紅の和メイクも、かの店の客には似つかわしくなかった。
 天和斎さんがどこまで「周りの目を気にしない」のか興味あったし、別に自分じゃないからよかったんだけど(爆)、ためらって止めてくれた彼女に、ちょっとほっとしました。

 20代の頃、友人の結婚式に出席した時、「この格好でできないことは何だろう?」と考えて「振袖でディスコのお立ち台は無理だな」と思いついたことを覚えています。あと「酔っ払って吐くのもイカンな」とも。(注:どちらも当時よくやっていたことです 恥)
 そう思いついた根拠を考えるに、「傍から優雅に見えないこと」は、(私的には)NGだと思われます。

 実は、振袖でボージャクブジンなとある有名女性を知っています(^^; だから、厳密に言うと、「着物でできなくもない」ことだとは思います。しかし、「浴衣でアスレチック」同様、物理的にできなくもない、ということと、私が「できない」と定義したいものとは異なります。
 知らなくて踏み外してしまった人は大目にみましょう。人より目立つことで収入を立てねばならない職業の人のことは別にしましょう。それ以外の、ある程度以上の着物好き女性は、「煙モウモウの男だらけの立ち呑み屋」は厳しいのではないかと思います。

 と、ここまで書いて、酔って気が大きくなった私は、もしかして何でもやってしまうかもしれない‥(-_-; と恐怖に襲われました。鶴見の「とんちゃん」で一杯やっている着物姿がいたら、それはきっと私です‥(~▽~;
posted by eribow at 15:06| Comment(22) | TrackBack(2) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月14日

着物ルーツ・古代中国の衣服

 家の「お片付け」の一環で掘り出された、未使用の古ーい絵葉書に、古代中国の偉人が描かれておりました。かつては興味のカケラもなかったのに「着物を見る目」で見た現在、めっちゃ興味深い!これはまさに呉服‥日本のキモノの源流ではないですかっ!(@_@;

no-title このお方は、張仲景(ちょう・ちゅうけい)という、後漢代のお医者さん。紀元200年頃と言われています。

 襟合わせ。重ね。袂。裾。パーツ、構造が、非常に「キモノ」を思わせます。上着は、何だか道中着みたいですね。裾は完全にAラインです、現代のお直しおばさんに見られたら「アラアラみっともない!」と注意されちゃうでしょうね(爆)それとも袴的なものなのかな?
 身の真ん中に何かぶら下がったものは、室町〜戦国時代の衣装である能装束で見かけるものとよく似ています。細帯を締めた余りを装飾的に前に垂らすもののようですが、見るたびに「現代でいえばネクタイみたいなものかな?」と思っています。あるいは首からぶら下げるネームタグ?

 袂は、振袖のように長いですね。そして、長襦袢と丈が合ってません。やっぱりお直しに‥ってちがーう!(^^; 身分が高くなるほど、衣服は装飾的に、非実用的になる傾向がありますから、この袂の長さから、おそらく身分の高い人なのだろうということも読み取れます。
 この方より150年くらい下った時代に『肘後備急方(ちゅうごびきゅうほう)』という医学書があります。肘後、というのは、袖の下、まさに袂のこと。備急というのは、もしものときに備えて、とか応急処置とでもいうような意味で、方は方法のこと。現代訳すれば「救急ポケットマニュアル」です。ポケット、の部分が「袂」であることが大変面白いですね。
 衣服に袂がある。袂はモノ入れとして使われる。この構造を理解していないと、1700年前の古書のタイトルがピンときません。もしも和服が完全に忘れられていたら、古代中国に「ハンドブック」があったんだというイメージ作りが、ストレートにはできないに違いありません。

 張仲景とは、中医学の礎の一つとなった『傷寒雑病論』という不朽の名著を残した人です。驚いたことに、現代でも薬局や病院で処方されるメジャーな「漢方薬」の中には、この本に載っているものも沢山含まれるという、歴史的にもそして臨床的にも非常に優れた医学書です。
 日本では稲作が始まり、邪馬台国が現れ、古墳が作られ、やっとこさ「社会」ができ始めた頃。殆どの日本人は竪穴式住居に住まい、食事は手づかみ。そんな頃に、このような衣服をまとい、文字と歴史と社会制度を持ち、「医学」までも発達させた海の向こうのお隣の国は、日本にとって目も眩む先進国であったことでしょう。
 後漢の次が、魏・呉・蜀三国時代。この絵は、和服のルーツ「呉の服」のそのまたルーツなのであります。

 かつてだったら「現代では滅びたなんだかダラダラ重ね着した服」にしか見えなかったであろうこの衣服が、連綿と続く構造を同じうし、細かいパーツは変遷している、着物との対比で観察できます。和服によって獲得された「視線」は、こんなに遠くまで届くのだ、と感慨。
posted by eribow at 23:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月13日

着物着てるだけで影響

 「言葉に出して誘わなくても着てるだけで影響することもある。。。のね。」とは、百合さんのブログで見かけた台詞。読みながら、思わず首を激しく縦にブンブン振ってしまいました。そう、私自身が「着ている人の影響」を受けて、現在の着物ライフに至っているからです。

 着物歴のカテゴリでは何度も触れていますが、私の着物ライフ開始に決定的に影響を与えたのは、とある一女性の着物姿。今は顔も名前も覚えていない、まさに一期一会の人なのに、私のその後の人生を変えたと言っても過言ではありません。
 振袖ちっくなお嬢様や、格調高いおばあさんの、着物のイメージを打ち砕く普段着らしい格子柄。目から鱗の「居酒屋の飲み会に着物」。子育て先輩であり、バツ一シングルマザーという大人の女性への尊敬。彼女のカッコよさは忘れがたい印象を胸に刻みました。

 だから、私は、いつどこで誰にどんな影響を与えているか分からないぞ、と思いながら着物を着ています。町中で、お店で、電車の中で、「へええ、着物っていいなあ」とか「ああいう着物もアリなんだ」とか「楽しそうだなあ羨ましいなあ」とか、思われるかもしれない。それがきっかけで着物を着てみようと思う人が、現れないとも限らない。そこまでダイレクトな影響でなくとも、心のどこかにその像が刻み込まれて、いつどこで「芽を吹く」かも分からない。
 毎年近所の花火大会には浴衣で行っているんですけれど、毎年徐々に浴衣率は上昇しています。それも、私の着姿が響している可能性あるんだよ(爆)。特に、男性の浴衣率が上がっているのは、細身で(いちおう体型は)かっこいいうちの夫が浴衣着ていっているせいではないかと、密かに自負しております(-_☆

 どうせすでに着物が好きな人しか読みに来ないこのブログでいくら吼えても(笑)別に着物人口は拡大しませんが、「ただ町中で着ている」ということだけで、ぜぇーーったい影響はあるって。
 私がかつて与えられたような「忘れられない出会い」がどこかで起こっていることを、そして次の世代へのバトンになっていることを、祈りつつ信じつつ、婉然と微笑んで着ていたいものです。
ラベル:着物
posted by eribow at 23:18| Comment(14) | TrackBack(1) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月12日

Gメン'75で見た着物ネタ

 「普段着物が廃れ、奢侈品へと変化していく」現象の研究に勤しんでいる今日この頃です(笑)が、懐かしのTV番組の中にもそんな片鱗を発見しました。
 それは『Gメン'75』。1975年(昭和50年)5月24日から82年(昭和57年)4月3日まで7年間に渡って355話放映された、刑事ドラマの名番組です。小学生だった私にとっては「大人」を感じさせる、でも理解可能な(笑)番組で、めっちゃハマってました。

 ケーブルテレビでの再放送を夫が見ていて、「着物が出てるよ〜」と呼んでくれたので、チラチラと横目で齧り見しました。呉服店に勤める二十歳(はたち)前の女性が主役のよう。自分ではとうてい手が出ない高級な振袖に心奪われ、ついに商品に手を出してしまう。その弱みを握った社長?理事長?にゆすられる。そしてその怨恨‥というようなストーリーだったようです。
 その犯罪動機、お話のテーマは、「若い女の子なら誰でも夢見るような素敵な着物、しかし現実は若い女の子のお給料ではとても買えない。目の前に欲望を刺激するモノがぶら下がっているのに、それを手に入れるすべは与えられていないという消費社会の残酷。」のようです。30年前にはすでに着物は奢侈品の典型になっていたということを示す、興味深い例ですね。へぇ〜ボタン連打です(笑)。

 しかーし、ドラマならではのいろいろな不自然な点が。
 Gメンに追い詰められた犯人の少女は、「私の着物!」と絶叫しながら着物をむしりとるのですが、もみ合ううちにビリビリと裂ける。犯罪を犯すまでに着物を愛した者が、そんな手荒な扱いをするものでしょうか?(^^;
 また卑劣な社長?にゆすられた少女は貞操を奪われるのですが、コトが終わって呆然と横たわる彼女に、男は件(くだん)の着物をふわりとかけてやる。するとそこには純潔を失った印として、血の染みが‥って血だよ?!(動揺) 女は店員、男は経営者、ともに呉服屋だろうに、そんなことするか?!染み抜きはどうしたんだ?
 あああ、脚本を書いた人は、着物に興味も知識もないに違いありません(T-T)

 30年前なので、発想が古いな〜という部分はいろいろあり、「体張ってまで着物ほしいかな?」とか「がんばってローン組めば買えるよな?」とか「エロ親父に利用されたからって、人生台無しってほどのことかなー?」とか、突っ込みどころ満載。ああ、でもその時代感がGメン'75の人気の秘密でもあるのかも(笑)。
 しかし、先日話題にしたばかりの『三丁目の夕日』の昭和30年代に「姿を消した」着物。それから20年後の昭和50年代には、「庶民には手が出ないもの」が常識になっていたことが伺えます。先日、126円で入手した着物を高額品と誤解された事件も、30年前からの常識からなのだなーと理解ができますね。
 このストーリーから着物というものが、虚栄(=中身ではなく見かけ、自らの価値観ではなく他人との比較による)であり、奢侈(=必要なものではなく無駄なもの、精神的なものではなく物質的なもの)であるものになっていっている過程が露呈しています。そのことはちょっと哀しいけど、一方で、そこまで「憧れ」があったことも確か、という側面は嬉しくもありますね。

 なお、情報の一部はチャボ&飛鳥さんのGメン'75のページを参照させていただきました。ありがとうございました>チャボ&飛鳥さん。充実のページにぴっくり。Gメンってやっぱり私の世代には外せないのね(笑)
posted by eribow at 23:42| Comment(4) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月10日

着物で知る「花への愛」

 着物を着るようになって変化したことの1つ‥それは、植物、特にお花が好きになったことです。
 「季節に敏感になる」の一環なんだけど、「着物が似合う場所」に「庭園」があったりするので、季節ごとに「花を見に行く」が口実になって着物を着たりして。
 また、柄行の知識のために、植物全般に興味が強くなったからでもある。「今の季節の花って何?」「この花はいつの季節の?」って。
 着物のために写真を撮るようになったこともある。花は、シャッターを押したくなる被写体ですよね(笑)。写真を撮るためによく見るようになり、魅力にも気づくようになりました。
 そして、着物好きさんには、花好きさんが多い!ガーデニングを楽しまれる方も多いようですね。ブログつながりでは、うまこさんや、なつさんがしばしば素晴らしい花の写真をUPしてくれているので、楽しみにしています。

 もう先月のことになってしまいましたが、近所の馬場花木園に行った際、公園の名の通り、たくさんの花があって、沢山見てきました。
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 見事な牡丹に芍薬。現代では薔薇に押されて「美の象徴」として語られることは少なくなっていますが、ものを見るとなるほどと納得します。牡丹、デカっ!

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 藤棚、水仙、桜草。

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 和紙の原料、三椏(みつまた)。白くてきれいな花なんですね。真っ赤な木瓜(ぼけ)。名前は酷いけど(笑)美しいです。八重桜。花に囲まれて、何度写真を撮ったことでしょう!

 同じ着物でも、男性の着物や、昔の庶民の着物は、無地や幾何学模様が主かもしれませんが、こと女性の着物や帯は、植物を抜きには語れません。こんなに植物と関わりの深い、そしてバラエティが豊富な衣服が、世界にあるのでしょうか?
 これほど自然が、四季が豊かな国は、世界の中では珍しい方に属します。これほどの豊かな自然を「着る」という行為に織り込んだ衣服も、珍しいと思います。美しい文様を発達させた文化は数多いと思うけど、日本の場合、「絵」だものね。贅沢なものです。(文様もあるけどね!)
 捨ててはならない日本文化の重要な特徴の一つは、この「季節」「自然」への深い愛着です。この部分は、世界に誇り、子孫に受け継ぐべきものではないでしょうか。そしてそこには「着物」が密接に関わっています。和服が単なる衣服でないと何度も強調するのには、こういうこともあるのです。
 着物のイメージの中に、「癒し」や「潤い」が含まれていることは多いですけれど、おそらく日本という国土、日本という伝統が持つ「花への愛好」が大いに関係しているのでしょうね。

 着物ライフをスタートした時点では、「花が好きになる」なんていう変化が起こるとは思いもかけませんでした。世の中にこんなに花が沢山あったことも、身近にあったことも、気づきませんでした。今は「次の季節の花」をいつも心待ちにしています♪
ラベル:着物
posted by eribow at 11:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 着物遊びの楽しみを語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月09日

ALWAYS 三丁目の夕日、着物が消えた日

 ケーブルテレビ放送で、『ALWAYS 三丁目の夕日』観ました。人気のある‥いいお話‥なんでしょ?でも私はちょっと変わった感想をいだきました。「ああ、この時代に(普段)着物は死んだんだ」と‥。

 昭和30年代が人気ですよね。プロジェクトXの東京タワーがハイピッチで建てられるドキュメンタリーも観ました。新横浜ラーメン博物館は昭和30年代の町並みを再現して、人気を博しています。
 戦後のドサクサと貧しさが色濃い20年代を脱し、殺伐とした高度経済成長期を迎えた40年代はまだ訪れていない、古さと新しさが同居したつかの間の生き生きした時代。現代人は、そこに「ノスタルジー」を感じるようです。私もそう感じていました。
 しかし「和服はいつ何故、捨てられたのだろう?」という謎解きがいつも心に引っかかっている今日この頃A(^^; この映画を観て、「ああ、この時代が転換点だったのでは」と思い当たる。「古きよき」「懐かしい」「温かい」と言った言葉で語られることの多いこの時代が、私には、着物たちを否定していく過程と重なって見えたのです。

 東京タワーが2年に満たない短い工期で(=あっという間に)できる。TV放送が始まり、速攻で庶民に広まる。その過程は、それまでの日本のスタイルを捨てて西欧化し、それまでの農耕民族的ライフスタイルを捨てて産業社会化していく過程と、そっくりシンクロしている気がする。日本より欧米を、自然と一体化した暮らしよりも文明を、地縁血縁よりも都会の個々人を、愛好し重視する強い強い流れが形作られ、いつの間にかそれが「懐かしい」「もともとの」日本と錯覚されていく。
 「進んだ」洋服がもてはやされて「時代遅れの」和服は日陰に追いやられていく。残った和服は「普段着」「実用品」から「晴れ着」「奢侈品」に押し込められていく。
 平屋の暮らし、土に近い暮らしから、アスファルトと高層ビルの時代へ。徒歩から車へ。木造家屋からコンクリ住宅へ。暮らしの激変を象徴するのが、東京タワーに思えました。東京タワーの建設とともに、着物が滅びたんだ、という思いを抱かずにおれません。

 例えば、ストーリーの中で登場する「サンタクロース」への憧れ。昔の日本に、そんなものはありませんでしたよね(^^; でも、それは少年の心の奥深い琴線に触れるものとして描かれている。
 例えば、血のつながった親子よりも、都会に流れ着いた個人と個人の絆が重く描かれている。
 「何でも注射で治す」お医者さんが、西洋科学技術文明を象徴している。
 お母さん役の薬師丸ひろ子は割烹着は着ているけど、着物は着ていない。
 人々が熱狂するのは、大相撲ではなくて、プロレス。
 私たちが「古い昭和」として知っているものが、実はその当時付け加わった「新しいもの」だったことを、この映画は気づかせてくれました。

 昭和30年代に、着物(と着物の背景にある)文化は一度断ち切られたんだな〜、と感慨に耽りました。
 そして40年代に入り、eribow誕生。生まれた時からTVは当たり前にあり、東京オリンピックも大阪万博も知りません。

 『三丁目の夕日』ファンの人がいたら、ごめんね。でも製作者や見る人の殆どが疑問にも思わないような「懐かしさ」が、私には「哀しい喪失」に思われました。
 いつが古くていつが懐かしいなんて、全て相対的なものなんだよね。私が「東京タワー以前」の着物世界を懐かしんでも、その前、そのもっともっと前、と遡っていけば、いくらでもどこにでも「懐かしさ」は設定できるんだよね。昭和30年代以前の日本の文化が何もかもいいとは思わないしね。
 でも、私は「昭和30年代ノスタルジー」ブームを純粋に愛好できない立場になってしまいました。東京タワーが着物を殺した。違いますかね‥(黙考)。
 ちょっと暗いハナシですみませんA(-_-;
posted by eribow at 17:36| Comment(12) | TrackBack(0) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月08日

着物でバイオリンは弾けません?!

 着物ライフが高じてくると、「着物だから○○できない」という発想に反感が芽生えてきます(笑)。逆に「何なら着物ではできないか?」という発想になってきます。できない、ということの殆どが思い込みにすぎないことを暴き、固定観念を取っ払うことが快感に。

 そんな流れで出た話、mizuhoが「着物でアスレチックは無理だね〜」と(^^; 自分の経験に照らして「ええー、子供たちを下からビデオやカメラで撮ってるだけだから、着物でも行けるんじゃ?」と言ったら、「いや、自分も(アスレチック)やるんだよ」と。確かに厳しい‥じゃなくって、エライねえ(笑)>mizuho
 「袴ならできるかな?と考えたんだけど、やっぱあちこちに引っかかるよね〜(悩)」って、考えたんかい(爆)。

 そして、昨日おうちフリマでその話題になり、hanaemibibiさんが「着物でバイオリンは弾けないね〜」と(^^; 音大でバイオリンを学んだそうで、人前で弾く機会もあるのだとか。肩のところにバイオリンを当てるので、着物だと滑るとのこと。
 「できないかなー?と思って、夜中に(わざわざ)着物着てバイオリン弾いてみたら、夫に『何してるの?(-_-;』って言われた」んだそう。試したんかい(爆)。
 洋装でも襟元胸元が大きく開いたデザインで、肌を出さないとダメなんだとか。そしたら、「じゃあ、極妻みたいにモロ肌脱いだら?」と誰かが言い出して、「そうだよ、その下にさらし巻いて!」「それでバイオリン?カッコいい〜♪」と大盛り上がり(爆)。「それでまた夜中に試してみたら?」「だんなさん、もっと『何してるの?(-_-;;;』になっちゃうね」などともう皆勝手なことを‥(笑)。
 「紬なら滑らなくていいんじゃない?」という案も飛び出しましたが、「ちょっと待って、コンサートだよ?!」‥あっ、そうか、ドレスコード的には訪問着クラスだもんねえ。やっぱり‥さらししかないか?(爆)

 いやはや、「着物だとできないこと」ネタは面白いですね♪
ラベル:着物 バイオリン
posted by eribow at 12:36| Comment(20) | TrackBack(1) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

「和」の手引きマガジン・『助六』vol6

sukerokuvol6.jpg 男性の着物雑誌があることを発見しました。その名も『助六』。発見したのはすでに第六巻です。
 発行しているのは、二玄社書店。車(オタク)雑誌『CAR GRAPHIC』を出しているようです。『STILE』という男性向けファッション雑誌もあるらしい。どうもターゲットはちょっと屈折した(^^;お洒落にお金とエナジーを費やす「オトナの男」のようです。
 「和」文化の復興、男性着物熱の静かな高まりは感じてきましたが、ついに雑誌まで出たか(感慨)。しかも、目次など見るとなかなかよさげです。ついに一部の業界人(歌舞伎役者とか武道関係者)ではない、その他大勢の男性のための、楽しみの一環のお洒落としてのキモノが登場したのですね(しみじみ)。

 私がこの雑誌にハッとしたのは、表紙が松田優作だったから。実はだんなは松田優作のファンなのです(笑)。だんな曰く、松田優作は「女子供には解らない」そう(^^; どうも「男が魅力を感じる男らしさ」がある、同性のカリスマなんだそうで。付き合わされてNHKの「知るを楽しむ」松田優作特集を見せられましたが、語りのリリーフランキー氏を始め、熱烈な「信者」は少なくないようです。
 松田優作が男心を掴むのは、「父性」「ダンディズム」だと私は分析しました。「旧弊で威張った」オヤジタイプか「男か女かわからない」韓流ドラマ俳優タイプに二極分化して、真の「カッコいい男」像が見失われがちな現代日本。松田優作の「真の男らしさ」をキャッチした同性たちは、本能的に渇望したモデルを感じるのでしょうねー。
 そんな「男が認めるイイ男」が男着物のイメージ・リーダーとして使われている。心憎いぞ!>助六

 決してキモノが嫌いなわけではなく、平均以上に「ファッション」「衣服」には関心が高い夫。着物への開眼までは紙一重なのです(><; 聞いてみたら、この雑誌の存在は知ってました(@_@; 今までも、あの手この手で着物ライフに誘ってきましたがいまだ成功していない我が家。これが少しでも着物ライフへの扉になってくれれば‥(-人-) この雑誌、要チェックですφ(-_☆

 なおこの情報は、貴重な中年着物男子、大和多聞さんのブログよりいただきました。ありがとうございました!>多聞さん
ラベル:着物 雑誌 助六
posted by eribow at 20:48| Comment(4) | TrackBack(0) | おすすめの本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

横浜・元町の着物男クン

 GW中日の今日、だんなと元町界隈にぶらぶら遊びに行っていました。裏通りの外がよく見えるレストランでランチを摂っていたら、大勢の人出の通行人の中に、一瞬着物のカップルを発見!(@_@;
 どの街へ行っても着物姿はついチェックしてしまいますが、やはり男性は好きなので珍しいので、「オッ!」とときめきます。細身の、おそらく若い男性。茶っぽい?羽織姿でした。連れの女性も、おそらくお若い?アンティークな装いに見えました。ほんとに一瞬、あっ!という間に通り過ぎてしまったのでよく観察はできなかったのですけれど。
 着物でお出かけが似合う街かどうかは、いつも研究してしまいますけど、レトロ横浜は結構合うんじゃないかと思っていたところ。デート?何かの集まり?着物のお店?分かりませんが、古きよき時代を感じさせる元町の風景には似合っていると思いました。どちらへ行かれたのかなー?
 いずれにせよ、年若い方が、楽しんで着ているらしいことは感じられましたので、ほのぼの♪嬉しくなりました。

 でも今日は暑かったよね(-_-; 5月始まったばかりとは思えない気温。袷は厳しかったと思われます。単衣でもツライかも。そんな中、羽織は暑かったろうと思われます(^^; 朝の時点で、ここまで暑くなるとは思わなかったからなー。彼は大丈夫だったのでしょうか?

 余談ですが、午後、大ベストセラー『五体不満足』で有名な乙武さんを見かけました。人出の多い横浜、車椅子の方もたくさん見かけましたので、別に珍しくもなくふっと見逃したのですが、通り過ぎた後ふと「もしや??」と振り返って確認したら、やっぱりそうでした。通りすがりの人の「乙武さん‥」という囁きも耳に入ったので、間違いありません。ちょっと段差のあるお店の入り口で、通行人の女性に手伝ってもらって店内へ消えていくのを見送りました。町中で有名人とすれ違っても結構見逃してしまう性質(^^; なので今回見逃さなかったのがミーハーに嬉しかったし、尊敬する乙武さんを生で拝見できたのもヨカッタ♪
 彼の気張らないナチュラルな雰囲気が好きです。「普段着物を普通に」という思いで行動している私も、今日の彼のように、風のように自然体であれたらなあ、とちょっと身が引き締まりました。
 ちょうど「少数者」の話題を書いたばかり。そうだよね、少数者と言えば彼のハンデも、数的にはレアなんだよね。少数ぶりに怖じない彼の前向きさに、私もあやかりたい!

 着物男と乙武さん目撃。今日はラッキー♪
ラベル:着物 男の着物
posted by eribow at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 男の着物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

少数でも、和服

 衣服というのは社会性の強いものだから、そのあり方が「数」に左右される度合いが大きいことは間違いないです。しかし、いつでも数が正義ではない。いいものはいいし、正しいものは正しい。多数に迎合し、少数を蔑ろにするのは、人間の性(さが)であるけれども、それをやってもいい時と、やってはいけない時があると思います。「着物」「和服」に関して言えば、「少数だから着ない」というのは大間違いだと思っています。
 「和服が廃れた理由」を語り始めると、このブログのペースで言えば10日分くらいになってしまう(^^; ので小出しにしますが、大きな理由の一つが「自国文化への劣等感、蔑視」だと思います。多くの日本人が、自国文化への愛着を失った。それが多数派になった。その精神風土にどっぷり漬かっていると「当たり前」に見えて気がつかないけれど、心の根の深い部分に共有されている風潮ができてしまっているのです。
 主義主張を持って着物を着始める人は見回してみてもほとんどおらず、単純に「好きだから」「カッコいいから」で始まっているのがごく一般的ですが、「着続ける」ことを選択した時、どこかでこの「時代の意識」に気づくことになります。そこでその「圧力」に接して「やっぱりヤメタ」と腰砕けになる人も少なくない。
 でもそれでいいのでしょうか?「皆が○○だから」という理由に乗っていいものといけないものがあります。「皆が○○だから」という理由に、理屈以上に感覚的、感情的に流されてそれを自分の本音だと錯覚する‥それが深刻な間違いを引き起こした例は、歴史を紐解けば沢山あります。

 和服に何の意味もなければ「皆が着ていないから着ない」という理屈は妥当だと思いますが、和服には意味があるのです。その点に、直感的にせよ理詰めにせよ気づいてしまうと、後戻りはできません。着物ってステキ♪という、個人的趣味志向を超えたものが、他の衣服と違って和服の中にはあります。
 着物は、「着ても着なくてもいい衣服」ではありません。「着た方がいい衣服」なのです。もしも、日本文化を愛するならば。国籍不明のインターナショナル人、あるいはニセ欧米人のようでありたい、というのなら、和服を滅ぼしてしまっても構わない。でも私はそうありたくないし、日本の多くの人にそうあってほしくない。着物を通して分かること、知ることは、驚くほど多い。衣服は、文化であり、言語なのです。
 「いや、俺は意味もなく好きだから着てるだけだ」という声がTさんあたりから聞こえてきそうでもありますが(笑)。

 そうは言っても、どんなことがあっても目立ちたくない、人ごみに紛れて隠れていたい恥ずかしがり屋さん体質の日本人はこれまた多いでしょう。特に男性。って、うちの息子達だよ(^^; この個性化の時代に「みんなと同じがいいから」とランドセルは絶対に黒、と主張した息子達。ママの着物姿にも冷たいです(^^;
 昆虫やトカゲの保護色じゃないんだからねー目立ったら鳥に食べられるとでも思ってるのかしら(苦笑)。
 そういう気の小さい男性や、視野の狭い子供は、時代が変わって「もう大丈夫みたいだぞ」と安心する日が来るまで放っておきましょう。それまで、自我とforesightのある一部大人男女は多少の北風が吹く日があっても、着物の世界を育んでおきましょう。着物が「コスプレ」や「行事」ではなく、「選択肢の一つ」程度に復活する日まで。

 私がこんな理屈こねなくても、きっと軽やかに場を使い分けて着物を楽しむでしょうけどね(笑)>mizuho 一緒にガンバロウ。
ラベル:着物
posted by eribow at 23:55| Comment(9) | TrackBack(1) | 着物つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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